46稿で、世界の若者の「地球温暖化対策要求デモ」について書きました。
スウェーデンの高校生グレン・トゥンベリさんが始めたストライキから始まった、世界的な若者の運動です。その運動のことを「未来のための金曜日」と呼んでいることを、新聞で知りました。
私も、毎週金曜日、それを思い出して、温暖化防止のための行動をしようと思います。
この日は、電動自転車には乗りません。歩いていきます。
(我が家は、自動車はもう手放してしまって、ありません。)
テレビを見る時間を1時間(2時間でも3時間でも)減らす。見なければ最高。
お風呂は沸かさず、シャワーにする。できるだけエネルギーを使わず過ごす。
自分ができれば、家族も誘って行う。
家族が仲間に入れば、お隣さんも、そして友人も誘う。
金曜日ができれば、もう一日増やす。
私たちの子の世代、孫の世代、そしてずっと先の未来まで、地球を安心して住める星にしておきたい。
「隣人愛より尊いものは、未来に生まれてくる者たちのための愛、遠人愛である。」
哲学者ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中に書いた言葉です。難しいことばかり言う人だと思っていましたが、この活動にぴったりの言葉を残してくれていました。
地球は今、隣人愛、同朋愛であふれかえっています。それらは戦争やテロさえ起こす原因となっています。「〇〇ファースト」もその一つでしょう。
日本は、それに同調することなく、「遠人愛」を選択してほしいものです
2019年5月19日日曜日
2019年5月15日水曜日
52 沖縄は、沖縄の人々に返還されたのか
きょう5月15日は「沖縄返還の日」である。
今から47年前の1972年、沖縄の施政権が、アメリカ合衆国より日本国に返還されたのである。
その際、日本とアメリカの間で交わされた協定の正式名称は、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」というのだそうである。
沖縄は、日本国に返還されたのであって、沖縄自身に返されたのではないのである。
沖縄には、いまだにアメリカ軍の基地がたくさんある。
日本にある米軍基地面積の74%が、日本全土の0.6%の面積しかもたない沖縄におかれている。
日本政府がそう決めているのである。
沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、そう決めているのである。
沖縄の人々は普天間基地の移設を求め、また辺野古新基地建設を求め、住民投票でも、国政選挙でも勝ち続けてきている。
にもかかわらず、何も変わらない。
政府は、沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、美しい沖縄の海に土砂を投入している。
沖縄は、日本国に返されたのであって、まだ沖縄の人々のもとへは返されていない。
日本政府は、沖縄をいつ沖縄の人々に返すのか。
今から47年前の1972年、沖縄の施政権が、アメリカ合衆国より日本国に返還されたのである。
その際、日本とアメリカの間で交わされた協定の正式名称は、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」というのだそうである。
沖縄は、日本国に返還されたのであって、沖縄自身に返されたのではないのである。
沖縄には、いまだにアメリカ軍の基地がたくさんある。
日本にある米軍基地面積の74%が、日本全土の0.6%の面積しかもたない沖縄におかれている。
日本政府がそう決めているのである。
沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、そう決めているのである。
沖縄の人々は普天間基地の移設を求め、また辺野古新基地建設を求め、住民投票でも、国政選挙でも勝ち続けてきている。
にもかかわらず、何も変わらない。
政府は、沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、美しい沖縄の海に土砂を投入している。
沖縄は、日本国に返されたのであって、まだ沖縄の人々のもとへは返されていない。
日本政府は、沖縄をいつ沖縄の人々に返すのか。
2019年5月14日火曜日
51 国書由来というけれど・・・
4月1日、新元号「令和」が発表された。
「れいわ」と読む。令の字は、「大化」以来248の元号で初めて使われた字だという。
そしてもう一つ「初めて」がある。出典が万葉集、国書由来というのが初めてというのである。
「令和」は、万葉集の第五巻に収められた「梅花三十二首」の序文からとったという。
天平2(730)の1月に、大宰府の大伴旅人邸に山上億良らが集まって宴をひらき、歌を詠んで楽しんだ時のものである。大伴旅人というのは、万葉集選者大伴家持の父である。
政府は、この「初めての国書由来」を強調、 安倍首相がわざわざ時間をとってTV放送で説明したほどである。多くのナショナリストたちも大いに評価しており、この新元号の決定について中国が悔しがっていると評する者も多かった。
しかしながら私は、この国書由来をことさらに強調し、中国文化に対抗するような雰囲気を感じさせる物言いに違和感がある。
「令和」は、序文の下記の部分からとられた。
初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
序文は見ての通り漢文で、読み下し文にすると「初春の令月にして、気よく風やわらぎ、梅はきょうぜんのこをひらき、蘭ははいごの香をくゆらす」と読む。「令」は良いという意味で、初春の良い月で天気もよく、風もおだやかと、宴の日をたたえる文であるという。
漢文は、記録手段・表現手段として日本文化に長く貢献した。平安中期の代表的な学者であり政治家でもある菅原道真は、漢詩文に秀で、学問の神とたたえられた。このころの貴族は日記を漢文で書いており、仕事の場のみでなく日常的に漢文を使用していたことがわかる。また、漢学者藤原為時の娘の紫式部が、幼いころ兄と共に漢籍を学んだということがもよく知られている。
古代の日本は固有の文字は持っておらず、漢文を利用することと併行して、漢字の音だけを利用して日本語を表記するという方式を生み出した。
遺跡から発見された剣や木簡に残された文字の分析から、5世紀ごろにはその方式は始まっており、7世紀ごろに確立したと考えられている。下記は、大阪の難波宮跡で発掘された木簡に記された11文字とその読み方である。
皮留久佐乃皮斯米之刀斯 (はるくさのはじめのとし)
この方式は、いわゆる万葉仮名と呼ばれるものである。万葉集で多く使われていることからその名がついた。万葉集では、漢文と万葉仮名とが混在している。序文は漢文で書きつつ、歌は「やまとことば」で詠み、漢字の音で表記して日本人の感性を表現した。
そして、万葉仮名からさらにカタカナ、平仮名を生み出していき、日本語の世界を広げていった。これは、日本と中国の文化が融合した結果と言えるのではないか。
日本の衣・食・住の文化、そこに使われている技術、そして芸能、さまざまな文化には、中国・朝鮮あるいはインドや中東の文化の影響を一つも受けずに存在しているものはないと言ってよいだろう。
その一方で今日、日本の文化、『和』の世界はその独創性を世界から認められている。
各国の文化を取り込んで融合させる中で、さまざまな独創的なものを生み出す、それが日本文化の特性なのではないかと思う。これは、むしろ誇るべきことではないかと思う。
そして、「この『和』の文化は、貴国の文化あってこそのものです」という姿勢こそ、近隣諸国との友好を築くものとなるのではないだろうか。
私は数十年前、大学で文化史を学んだのであるが、そこで私の考えを大きく変えた書物『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』と出会った。
『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』とは、平安初期の815年に編纂された当時の氏族名観で、京および畿内(当時の首都圏。山城、大和、河内、泉、摂津)に住む主要氏族1182氏について、その祖先や氏の名の由来などを整理したものである。
1182氏は、その出自により大きく「皇別」「神別」「諸蕃」の3つに分類されている。皇別は天皇家から分かれた氏族、神別は天皇家が成立する前から存在していた日本古来の氏族である。
そして最後の諸蕃が注目すべきもので、これは渡来系の氏族であり、326氏があげられている。
326氏というのは、1182氏の28%、およそ1/3といってもよいほど渡来系の氏族が存在していたのである。
これらの氏族は、古くは5世紀ごろから、学者・技術者として迎えられ、また政治的亡命者として朝鮮半島から渡ってきた人々である。製鉄、土器製作、農耕技術、土木・灌漑技術、養蚕、機織り、そして漢字、芸能などさまざまな技術を持って渡来し、政権内で役人として仕えたものも少なくない。
氏族の数が1/3だからといって、人口の1/3が渡来系の人々であったとは言えないが、首都圏に相当数居住していたことは間違いのないところだろう。そしてやがて、それらの人々が地方の開拓にも力を発揮していく。そこかしこに渡来人由来の地名があり、史跡があることからもそのことがわかる。残されたものから、日本の国づくりの原動力となり、文化の担い手になっていたことが読み取れる。
例えば、このJADECの事務所のある新座は、かつては新羅郡といって、1300年ほど前に新羅人たちが移住した土地である郡というのは、大和政権の行政区画で、50戸を一単位とする郷がいくつか集まって構成したもので、当初は300人ぐらいで構成、平安中期には千数百人規模になっていたと考えられている。(現在の志木駅周辺、それからもう少し南部の大和田あたりだと言われている。)
同じ埼玉には、新羅郡よりはるかに大きい規模の高麗郡も存在していた。こちらは716年に、それ以前に相模・駿河・甲斐など7か国に居住していた高句麗系渡来人1799人を移住させたという記録が残っている。現在の日高市を中心としたあたりである。
新羅郡は平安中期に「新座(にいくら)」、現在は「にいざ」と名前を変えたが、高麗郡は明治期にもその名が存在し、高麗(こま)は今も地名として残っている。
渡来人たちは持っている技術で土地を開拓し、大きく発展させた。また渡来人のみで孤立していたわけではなく、在来の氏族とも積極的に交流し、婚姻を結び同化していった。
代表的なのは百済系渡来人である秦(はた)氏で、山城に強大な勢力圏を築いた。桓武天皇の平安遷都にはその財力と技術力が大いに貢献したとも言われている。また、桓武天皇の母となった高野新笠(たかののにいがさ)は百済の武寧王の後裔とされる和(やまと)氏出身であることが、平安初期の勅撰史書である続日本紀(しょくにほんぎ)に書いてある。
勅撰史書:天皇の命令によってつくられた歴史書。
さまざまな事実を見ていくと、現代の日本は、渡来人の力なくしては築けなかったということを実感する。いや、日本人、渡来人と分けて考えるのも正しくないかもしれない。現代の日本人そのものが、渡来人の子孫でもあると言っても間違いではないからである。
そうした時代を積み重ねた文化的背景、人々の交流の歴史をおさえて、これからの国のありよう、近隣の国々とのつき合い方を考えていくことができたら、素敵だなあと思うのである。
「れいわ」と読む。令の字は、「大化」以来248の元号で初めて使われた字だという。
そしてもう一つ「初めて」がある。出典が万葉集、国書由来というのが初めてというのである。
「令和」は、万葉集の第五巻に収められた「梅花三十二首」の序文からとったという。
天平2(730)の1月に、大宰府の大伴旅人邸に山上億良らが集まって宴をひらき、歌を詠んで楽しんだ時のものである。大伴旅人というのは、万葉集選者大伴家持の父である。
政府は、この「初めての国書由来」を強調、 安倍首相がわざわざ時間をとってTV放送で説明したほどである。多くのナショナリストたちも大いに評価しており、この新元号の決定について中国が悔しがっていると評する者も多かった。
しかしながら私は、この国書由来をことさらに強調し、中国文化に対抗するような雰囲気を感じさせる物言いに違和感がある。
★万葉集は、中国文化の活用によってできた
「令和」は、序文の下記の部分からとられた。
初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
序文は見ての通り漢文で、読み下し文にすると「初春の令月にして、気よく風やわらぎ、梅はきょうぜんのこをひらき、蘭ははいごの香をくゆらす」と読む。「令」は良いという意味で、初春の良い月で天気もよく、風もおだやかと、宴の日をたたえる文であるという。
漢文は、記録手段・表現手段として日本文化に長く貢献した。平安中期の代表的な学者であり政治家でもある菅原道真は、漢詩文に秀で、学問の神とたたえられた。このころの貴族は日記を漢文で書いており、仕事の場のみでなく日常的に漢文を使用していたことがわかる。また、漢学者藤原為時の娘の紫式部が、幼いころ兄と共に漢籍を学んだということがもよく知られている。
古代の日本は固有の文字は持っておらず、漢文を利用することと併行して、漢字の音だけを利用して日本語を表記するという方式を生み出した。
遺跡から発見された剣や木簡に残された文字の分析から、5世紀ごろにはその方式は始まっており、7世紀ごろに確立したと考えられている。下記は、大阪の難波宮跡で発掘された木簡に記された11文字とその読み方である。
皮留久佐乃皮斯米之刀斯 (はるくさのはじめのとし)
この方式は、いわゆる万葉仮名と呼ばれるものである。万葉集で多く使われていることからその名がついた。万葉集では、漢文と万葉仮名とが混在している。序文は漢文で書きつつ、歌は「やまとことば」で詠み、漢字の音で表記して日本人の感性を表現した。
そして、万葉仮名からさらにカタカナ、平仮名を生み出していき、日本語の世界を広げていった。これは、日本と中国の文化が融合した結果と言えるのではないか。
★日本文化の特性は“融合”と“創造”
日本の衣・食・住の文化、そこに使われている技術、そして芸能、さまざまな文化には、中国・朝鮮あるいはインドや中東の文化の影響を一つも受けずに存在しているものはないと言ってよいだろう。
その一方で今日、日本の文化、『和』の世界はその独創性を世界から認められている。
各国の文化を取り込んで融合させる中で、さまざまな独創的なものを生み出す、それが日本文化の特性なのではないかと思う。これは、むしろ誇るべきことではないかと思う。
そして、「この『和』の文化は、貴国の文化あってこそのものです」という姿勢こそ、近隣諸国との友好を築くものとなるのではないだろうか。
★平安時代、主要氏族の1/3は渡来系
私は数十年前、大学で文化史を学んだのであるが、そこで私の考えを大きく変えた書物『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』と出会った。
『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』とは、平安初期の815年に編纂された当時の氏族名観で、京および畿内(当時の首都圏。山城、大和、河内、泉、摂津)に住む主要氏族1182氏について、その祖先や氏の名の由来などを整理したものである。
1182氏は、その出自により大きく「皇別」「神別」「諸蕃」の3つに分類されている。皇別は天皇家から分かれた氏族、神別は天皇家が成立する前から存在していた日本古来の氏族である。
そして最後の諸蕃が注目すべきもので、これは渡来系の氏族であり、326氏があげられている。
326氏というのは、1182氏の28%、およそ1/3といってもよいほど渡来系の氏族が存在していたのである。
これらの氏族は、古くは5世紀ごろから、学者・技術者として迎えられ、また政治的亡命者として朝鮮半島から渡ってきた人々である。製鉄、土器製作、農耕技術、土木・灌漑技術、養蚕、機織り、そして漢字、芸能などさまざまな技術を持って渡来し、政権内で役人として仕えたものも少なくない。
氏族の数が1/3だからといって、人口の1/3が渡来系の人々であったとは言えないが、首都圏に相当数居住していたことは間違いのないところだろう。そしてやがて、それらの人々が地方の開拓にも力を発揮していく。そこかしこに渡来人由来の地名があり、史跡があることからもそのことがわかる。残されたものから、日本の国づくりの原動力となり、文化の担い手になっていたことが読み取れる。
例えば、このJADECの事務所のある新座は、かつては新羅郡といって、1300年ほど前に新羅人たちが移住した土地である郡というのは、大和政権の行政区画で、50戸を一単位とする郷がいくつか集まって構成したもので、当初は300人ぐらいで構成、平安中期には千数百人規模になっていたと考えられている。(現在の志木駅周辺、それからもう少し南部の大和田あたりだと言われている。)
同じ埼玉には、新羅郡よりはるかに大きい規模の高麗郡も存在していた。こちらは716年に、それ以前に相模・駿河・甲斐など7か国に居住していた高句麗系渡来人1799人を移住させたという記録が残っている。現在の日高市を中心としたあたりである。
新羅郡は平安中期に「新座(にいくら)」、現在は「にいざ」と名前を変えたが、高麗郡は明治期にもその名が存在し、高麗(こま)は今も地名として残っている。
渡来人たちは持っている技術で土地を開拓し、大きく発展させた。また渡来人のみで孤立していたわけではなく、在来の氏族とも積極的に交流し、婚姻を結び同化していった。
代表的なのは百済系渡来人である秦(はた)氏で、山城に強大な勢力圏を築いた。桓武天皇の平安遷都にはその財力と技術力が大いに貢献したとも言われている。また、桓武天皇の母となった高野新笠(たかののにいがさ)は百済の武寧王の後裔とされる和(やまと)氏出身であることが、平安初期の勅撰史書である続日本紀(しょくにほんぎ)に書いてある。
勅撰史書:天皇の命令によってつくられた歴史書。
★文化史的背景をおさえて
さまざまな事実を見ていくと、現代の日本は、渡来人の力なくしては築けなかったということを実感する。いや、日本人、渡来人と分けて考えるのも正しくないかもしれない。現代の日本人そのものが、渡来人の子孫でもあると言っても間違いではないからである。
そうした時代を積み重ねた文化的背景、人々の交流の歴史をおさえて、これからの国のありよう、近隣の国々とのつき合い方を考えていくことができたら、素敵だなあと思うのである。
2019年5月12日日曜日
50 預金をりそなに移します
核廃絶や脱原発、デモや署名活動以外にもできることを考えよう。
昨年3月、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、オランダの平和団体PAXと共に行った調査の結果を発表した。世界全体では24カ国329の金融機関が5250億ドル(約55兆円)を提供、日本の7つの金融機関からも、少なくとも185億ドル(約2兆円)が核兵器製造企業に資金提供されているという。
(ICANというのは、2017年ノーベル平和賞を受賞した、あのICANである。)
核兵器製造企業に融資するということは、核の脅威を高めることを支援していることになるからである。「核兵器禁止条約」では「核兵器への援助行為」も禁止項目に含まれているのである。
しかし、日本国内ではなかなかそうした動きが見えてこない。それどころか、国内有数の金融機関が核兵器製造企業に2兆円もの融資をしていた。世界で唯一の被爆国日本、核の恐ろしさを心の底からわかっているはずの日本、核廃絶を目指しているはずの日本であるのに・・・・・・
ICAN構成団体のピースボートは、核兵器製造企業への資金提供が明らかになった国内の7金融機関に対して、「日本は唯一の被爆国。核兵器製造企業への融資をどう捉えているのか」など質問状を送り、今後、全国銀行協会への申し送りなども行って行くという。
同時に、市民に対して、次のような呼びかけを行っている。
「金融機関からの提供を止めることで、企業が核兵器製造から撤退していくことを促したい。市民の皆さんは、名前の上がった金融機関に声を上げてほしい。それでも各行が資金提供を止めないなら、そうした銀行との取引をやめよう。」
そうか、それだ! その手があった。そしてもっと積極的な手が・・・・・・
りそな銀行はこれまでも、そうした企業に対する融資は行ってこなかったのであるが、それを明文化したのである。
『社会的責任投融資に向けた取り組み』と題する文書には、「核兵器・化学兵器・生物兵器等の大量破壊兵器や、対人地雷・クラスター弾等の非人道的な兵器の開発・製造に関与する先や、国内外の規制・制裁対象となる先、またそのおそれのある先への融資は行いません」と明記している。
また、「人身売買等の人権侵害への加担」、児童労働、強制労働への関与が認められる企業や、「環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクト等」への融資も行わないとしている。
核兵器製造を使途とする融資を禁止する例はあるが、それ以外の目的であっても該当企業には一切融資はしないと宣言したもので、こうした取り組みは国内大手銀行では初めてだという。
私は、今、預金口座をりそな銀行に移すことを計画している。
★日本の7金融機関、核兵器製造企業に2兆円融資
昨年3月、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、オランダの平和団体PAXと共に行った調査の結果を発表した。世界全体では24カ国329の金融機関が5250億ドル(約55兆円)を提供、日本の7つの金融機関からも、少なくとも185億ドル(約2兆円)が核兵器製造企業に資金提供されているという。
(ICANというのは、2017年ノーベル平和賞を受賞した、あのICANである。)
★欧州で広がる、核兵器製造企業への投資禁止運動
2017年7月に「核兵器禁止条約」が国連で採択され、欧州を中心に核兵器製造企業への投融資を禁止する銀行や投資家がふえているという。核兵器製造企業に融資するということは、核の脅威を高めることを支援していることになるからである。「核兵器禁止条約」では「核兵器への援助行為」も禁止項目に含まれているのである。
しかし、日本国内ではなかなかそうした動きが見えてこない。それどころか、国内有数の金融機関が核兵器製造企業に2兆円もの融資をしていた。世界で唯一の被爆国日本、核の恐ろしさを心の底からわかっているはずの日本、核廃絶を目指しているはずの日本であるのに・・・・・・
ICAN構成団体のピースボートは、核兵器製造企業への資金提供が明らかになった国内の7金融機関に対して、「日本は唯一の被爆国。核兵器製造企業への融資をどう捉えているのか」など質問状を送り、今後、全国銀行協会への申し送りなども行って行くという。
同時に、市民に対して、次のような呼びかけを行っている。
「金融機関からの提供を止めることで、企業が核兵器製造から撤退していくことを促したい。市民の皆さんは、名前の上がった金融機関に声を上げてほしい。それでも各行が資金提供を止めないなら、そうした銀行との取引をやめよう。」
そうか、それだ! その手があった。そしてもっと積極的な手が・・・・・・
★“りそな銀行”を応援しよう
日本の大手銀行の一つ“りそな銀行”は、昨年11月に核兵器を開発・製造・所持する企業に対して融資を行わない方針を定め、公表した。りそな銀行はこれまでも、そうした企業に対する融資は行ってこなかったのであるが、それを明文化したのである。
『社会的責任投融資に向けた取り組み』と題する文書には、「核兵器・化学兵器・生物兵器等の大量破壊兵器や、対人地雷・クラスター弾等の非人道的な兵器の開発・製造に関与する先や、国内外の規制・制裁対象となる先、またそのおそれのある先への融資は行いません」と明記している。
また、「人身売買等の人権侵害への加担」、児童労働、強制労働への関与が認められる企業や、「環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクト等」への融資も行わないとしている。
核兵器製造を使途とする融資を禁止する例はあるが、それ以外の目的であっても該当企業には一切融資はしないと宣言したもので、こうした取り組みは国内大手銀行では初めてだという。
私は、今、預金口座をりそな銀行に移すことを計画している。
2019年5月11日土曜日
49 CO2排出量、削減のカギを握るのは・・・
前稿に続き、CO2排出量削減問題。
過去80万年ほとんど変化しなかった大気中のCO2濃度は、産業革命の頃から増加し始め、気象庁の2019年3月のデータによれば、1750年(産業革命)以前と比べて、46%も増加しているという。そしてその増加の勢いは、年々勢いを増しているというのだ。
人類が長く生存していくためには、大気の構成要素のバランスを崩さないということが大変重要である。しかし、森林減少によりCO2排出量に見合うO2(酸素)の供給量が減少しており、この勢いが進んでいけば、そう遠くない将来(われわれの子どもや孫の世代)に危険な状態を生み出すのは間違いない、多くの研究者たちがそう警告している。
(最近の気象の異変は、既にそれが始まっていることを感じさせる。)
《参考》 大気中のCO2濃度、過去80万年で最高レベル
https://www.businessinsider.jp/post-167043
われわれの子や孫の世代、その先の世代に安心安全な地球を残すには、早急にCO2の排出量を抑える行動を起こすしかない。日本にはその責務がある。何しろ日本は全体量では世界5位、一人当たりでは世界4位のCO2排出大国なのである。
では、どこから、どう抑えていくのか。鉄道の話に戻って考える。
世田谷線が再生エネルギーに転換することで削減できるCO2の排出量は1260トン。
これは、日本人が出しているCO2全体のどれくらいに当たるのだろうか。
国土交通省発表のデータを見ていく。
それによれば、2017年度における日本のCO2の総排出は11億9000万トン。
(前掲の2015年排出量より4300万トンも増加している・・・)
下図は、その部門別排出量を示したものである。
円グラフの赤で示されたところが運輸部門で、2億1300万トン、全体の17.9%を占める。
その内訳が、次のグラフであるが、鉄道部門は最も下の黄緑色の部分。
CO2排出量は867万トンで、割合は4.1%となっている。
ダントツに多いのは、個人個人が使っているところの自家用乗用車で、排出量は9850万トン。運輸部門全体のほぼ半分、46.7%を占めている。鉄道の約11.3倍にもなっている。
乗用車による輸送は年々増加しているとはいえ、鉄道の2倍強でしかない。輸送量に対してCO2排出の割合が半端なく高いということである。
旅客一人当たりで計算すると、鉄道は1kmいくのに19gしか排出しないのに対し、自動車はその約7.3倍の137gもCO2を排出するのである。
データを見ると、鉄道はCO2排出にかけては優等生なのである。
その優等生が、さらに削減の努力をしているというのが、世田谷線の話なのである。
それに比べると、自家用車に乗っている人たちは、のん気すぎるではないか。
自家用車を利用している人たちは、自分たちがこんなにCO2を排出しているということを知っているのか。自家用車での移動は、ドアTOドアで乗り換えもなく、荷物の持ち運びも楽である。
しかし、それを良しとして、安易に使っていることが、自分たちの子や孫や、その次の世代の生活や命をおびやかしているということに、気づかなければならない。
車で週1回、片道5キロのところを往復して通っていたとする。
往復10キロで1370gのCO2を排出することになる。
これを自転車で行くことにし、それを1年間(52週間)続けるとすると、71.2kgの削減になる。
まず、そんなことから始めてみてはどうかと勧めたい。
他の交通機関がある場合は、できるだけそれを利用する。
健康で、一人で行動できる場合は、切り替えはできるはず。
いや、しなければならない。
何ができるか、一つ一つ考え、行動する仲間を増やしていこう。
一人からでも始めるということが大事だと、グレタさんが教えてくれたのだから・・・(46稿参照)
★CO2は、1750年以前と比べて46%も増加している
過去80万年ほとんど変化しなかった大気中のCO2濃度は、産業革命の頃から増加し始め、気象庁の2019年3月のデータによれば、1750年(産業革命)以前と比べて、46%も増加しているという。そしてその増加の勢いは、年々勢いを増しているというのだ。
人類が長く生存していくためには、大気の構成要素のバランスを崩さないということが大変重要である。しかし、森林減少によりCO2排出量に見合うO2(酸素)の供給量が減少しており、この勢いが進んでいけば、そう遠くない将来(われわれの子どもや孫の世代)に危険な状態を生み出すのは間違いない、多くの研究者たちがそう警告している。
(最近の気象の異変は、既にそれが始まっていることを感じさせる。)
《参考》 大気中のCO2濃度、過去80万年で最高レベル
https://www.businessinsider.jp/post-167043
★CO2排出大国日本
われわれの子や孫の世代、その先の世代に安心安全な地球を残すには、早急にCO2の排出量を抑える行動を起こすしかない。日本にはその責務がある。何しろ日本は全体量では世界5位、一人当たりでは世界4位のCO2排出大国なのである。
★CO2総排出量の17.9%が運輸部門、その元凶は・・・
では、どこから、どう抑えていくのか。鉄道の話に戻って考える。
世田谷線が再生エネルギーに転換することで削減できるCO2の排出量は1260トン。
これは、日本人が出しているCO2全体のどれくらいに当たるのだろうか。
国土交通省発表のデータを見ていく。
それによれば、2017年度における日本のCO2の総排出は11億9000万トン。
(前掲の2015年排出量より4300万トンも増加している・・・)
下図は、その部門別排出量を示したものである。
円グラフの赤で示されたところが運輸部門で、2億1300万トン、全体の17.9%を占める。
その内訳が、次のグラフであるが、鉄道部門は最も下の黄緑色の部分。
CO2排出量は867万トンで、割合は4.1%となっている。
ダントツに多いのは、個人個人が使っているところの自家用乗用車で、排出量は9850万トン。運輸部門全体のほぼ半分、46.7%を占めている。鉄道の約11.3倍にもなっている。
乗用車による輸送は年々増加しているとはいえ、鉄道の2倍強でしかない。輸送量に対してCO2排出の割合が半端なく高いということである。
旅客一人当たりで計算すると、鉄道は1kmいくのに19gしか排出しないのに対し、自動車はその約7.3倍の137gもCO2を排出するのである。
データを見ると、鉄道はCO2排出にかけては優等生なのである。
その優等生が、さらに削減の努力をしているというのが、世田谷線の話なのである。
それに比べると、自家用車に乗っている人たちは、のん気すぎるではないか。
自家用車を利用している人たちは、自分たちがこんなにCO2を排出しているということを知っているのか。自家用車での移動は、ドアTOドアで乗り換えもなく、荷物の持ち運びも楽である。
しかし、それを良しとして、安易に使っていることが、自分たちの子や孫や、その次の世代の生活や命をおびやかしているということに、気づかなければならない。
★マイカーから公共交通へ!
車で週1回、片道5キロのところを往復して通っていたとする。
往復10キロで1370gのCO2を排出することになる。
これを自転車で行くことにし、それを1年間(52週間)続けるとすると、71.2kgの削減になる。
まず、そんなことから始めてみてはどうかと勧めたい。
他の交通機関がある場合は、できるだけそれを利用する。
健康で、一人で行動できる場合は、切り替えはできるはず。
いや、しなければならない。
何ができるか、一つ一つ考え、行動する仲間を増やしていこう。
一人からでも始めるということが大事だと、グレタさんが教えてくれたのだから・・・(46稿参照)
48 CO2排出量について
47稿で、東急世田谷線が再生エネルギーに切り替えたことを取り上げ、1年で1260トンのCO2が昨削減できると書いたのであるが、この数字は、改めて考えるとものすごい数字だ。何しろ単位がトンなのである。
CO2は気体である。気体の重さというものについて、われわれはあまり考えていないのではないか。1260トンのCO2というのは一体どれほどの量なのだろうか。
気体は空気を1として測るので、空気の約1.53倍の重さということだ。
私たちは、空気の重さを意識しないで生活しているが、1立方メートル(㎥)は約1.29kgある。
CO2は空気の1.53倍であるから、1.29×1.53≒1.97で、約2㎏ということになる。
1トンというのは1000㎏であるから、2㎏の約500倍。体積にすると、500㎥ということだ。
1260トンは、その1260倍であるから、500×1260で、体積64800㎥ということになる。
この体積のイメージを図にあらわしてみると・・・
1260トンのCO2の量を角柱にすると、36m四方、高さ500mになるということだ。
36m四方というのは、畳なら800畳敷きの広さである。
500mは333mの東京タワーより、167m高い。
世田谷線はそれだけのCO2を削減する。。
逆に、再生エネルギーでなければ、1年間でこれだけの量のCO2を排出するということである。
そこで、日本の鉄道路線の総延長距離を調べてみたが、JRのみで27,182kmというデータしか見つからなかった。これは世田谷線の約1360倍であるが、実際には他の私鉄や地下鉄もあり、こんなものではないだろう。またJRに限ってみても、平均時速200キロの新幹線もあるし、100キロ以下のローカル線もある。それぞれの線がどれほどのエネルギーを使いCO2を排出しているのかを調べるのは大変なことだ。
そこで、ここからは、国土交通省や環境省の出しているデータを基に、別方向から考えることにした。
(以下次稿)
CO2は気体である。気体の重さというものについて、われわれはあまり考えていないのではないか。1260トンのCO2というのは一体どれほどの量なのだろうか。
★1260トンのCO2とは?
調べてみるとCO2の比重は約1.53。気体は空気を1として測るので、空気の約1.53倍の重さということだ。
私たちは、空気の重さを意識しないで生活しているが、1立方メートル(㎥)は約1.29kgある。
CO2は空気の1.53倍であるから、1.29×1.53≒1.97で、約2㎏ということになる。
1トンというのは1000㎏であるから、2㎏の約500倍。体積にすると、500㎥ということだ。
1260トンは、その1260倍であるから、500×1260で、体積64800㎥ということになる。
この体積のイメージを図にあらわしてみると・・・
1260トンのCO2の量を角柱にすると、36m四方、高さ500mになるということだ。
36m四方というのは、畳なら800畳敷きの広さである。
500mは333mの東京タワーより、167m高い。
世田谷線はそれだけのCO2を削減する。。
逆に、再生エネルギーでなければ、1年間でこれだけの量のCO2を排出するということである。
★日本全体の鉄道では、どのぐらいのCO2を排出しているのか
全線わずか20km、1日187本(1時間平均9本)、最高速度40km時、平均速度16.7km時ののんびりした2両の路面電車である世田谷線が、1年間に1260トンのCO2を排出するというのなら、日本全土の鉄道では、いったいどれほどになるのだろう。そこで、日本の鉄道路線の総延長距離を調べてみたが、JRのみで27,182kmというデータしか見つからなかった。これは世田谷線の約1360倍であるが、実際には他の私鉄や地下鉄もあり、こんなものではないだろう。またJRに限ってみても、平均時速200キロの新幹線もあるし、100キロ以下のローカル線もある。それぞれの線がどれほどのエネルギーを使いCO2を排出しているのかを調べるのは大変なことだ。
そこで、ここからは、国土交通省や環境省の出しているデータを基に、別方向から考えることにした。
(以下次稿)
2019年5月6日月曜日
47 世田谷線に乗って行きます
★バス並みのスピード
私は、世田谷に住む娘の家に行くときは、渋谷から三軒茶屋に出て、そこから東急世田谷線に乗って行く。彼女の家は、渋谷からバス1本で行くことができ、バス停からは目と鼻の先なのであるが、私はあえて、世田谷線に乗ることにしている。
三軒茶屋から下高井戸までの10駅、全行程わずか5㎞しかない。始発駅から終点まで乗っても20分ほどである。世田谷線は、昔、渋谷―二子玉川園間を走っていた玉川電気鉄道(通称“たまでん”)の支線としてできた下高井戸線であり、“たまでん”が東急電鉄に吸収され、渋谷―二子玉川園間が廃止された後、世田谷線と名を変えて残ったものである。
世田谷線ルート
世田谷線は、電車といっても、2両編成の路面電車。駅と駅の間は平均500m程度なので、発車してスピードを出す間もなく、次の駅に着く。そのスピードはむしろバスに近く、実にのんびりした電車である。
★100%再生可能エネルギーで
私が、こののんびりした世田谷線を選択する理由は、この線が今年3月25日から、100%再生可能エネルギーで終日電車を走らせることになったからである。それまでは、その日の気分でバスにしたり世田谷線にしたりであったが、このニュースを新聞で目にしてからは、世田谷線一本にすると決めた。
世田谷線の2018年度電力使用量は215万6000キロワット時(見込み)。2018年度実績で換算した場合、CO2排出削減量は、年間約1263トンになるという。
ごく小さな路線ではあるが、路線全体の100パーセント再生エネエルギー化は、日本発である。他の鉄道に先駆けての東急電鉄のこの取り組みを大きく評価したいと思う。他の接道会社も追随することを期待したい。
世田谷線の100パーセント再生エネエルギー化計画は、東北電力が提供する電力プランを活用したものであるという。東急電鉄と合わせて、東北電力にもエールを送りたいと思う。
とはいえ、資力のない私には、株を買うなどということもなかなかできない。
なので、せめて乗客になろうと決めたのである。
乗客となって、世田谷線の採算に少しでも貢献したいと思うのだ。
★青、緑、黄、ピンク、色とりどり
のんびりと走るとは言いながら、普通の都電市電とは違い、世田谷線は軌道は独立して確保されており、渋滞に巻き込まれることはない。所要時間は極めて確実で、イライラすることはない。
始発駅以外は無人駅、運賃は乗車時に車両の前方と後方に設置してあるチェッカーで払い、降車は車両の中ほどにある出口からというシステムになっており、駅構内や車内でそのことがアナウンスされる。したがって、自然と乗客の流れができ、乗客が出入り付近に集中し混雑するというようなことがなく、中々工夫されている。
走っている10編成の車両は、すべて異なる色だというのも面白い。私は、これまで青、緑、黄、ピンクの車両に乗った。他にはどんな色があるのだろうか、今日は何色に乗れるかな、などと思いつつ待つのも楽しい。。
また、沿線には、松陰神社、豪徳寺、代官屋敷、ボロ市など見所もあるようで、機会を見つけて行ってみたいと思っている。
★デモや署名運動以外にできること
核廃絶や脱原発、デモや署名活動以外に何かできないものか。
ずっと考えてきた。
少し、その方向が見えてきた。
2019年5月4日土曜日
46 世界の若者の温暖化対策要求デモ
3月15日、世界の各地で、高校生を中心とした温暖化対策要求デモが行われた。
地球温暖化対策に消極的な政府や大人に抗議の声を上げようという目的で呼びかけられたもので、120か国、2000か所以上で行われたという。
デモは、スウェーデンの高校生グレタ・トゥンベリさんの活動に触発されてのもの。
グレタさんは昨年夏、スウェーデン国内で起きた熱波と山林火災を問題視し、政府にパリ協定を順守し二酸化炭素を削減するようよう求めて、国会議事堂前で座り込み総選挙まで学校に行かないという学校ストライキを行った。
「気象危機は、危機として扱わなくてはならない。気候問題は選挙の最大の争点である」と主張し、総選挙後も週1回座り込みを継続したという。
そうしたグレタさんの行動が世界で注目され、グレタさんも、世界中の学生に学校ストライキを呼びかけるようになったというのだ。
気候変動のような大きな問題は、一個人の行動ではどうしようもないとか、明日からどうこうというような問題じゃないよね、と自分に言い聞かせて、ともすれば目を背けてしまいがちだ。
けれども、あきらめない若者がいる。一人でも行動を起こす。
そしてそれが少しずつ人の心に伝わり、やがて大きな運動になっていく。
それが現実として、目の前にある。
3月15日は、前項で紹介したように、ニュージーランドのクライストチャーチで2つのモスクを襲ったテロ事件が発生し、世間の注目はそちらに集まってしまった。しかし、このデモは、テロ事件に劣らず、あるいはそれ以上に注目しなければならない出来事であったと思う。
温暖化の被害を受けるのは、私たち大人ではなく、若者たちだ。
私たち大人が、考えなしに、暖房に、交通に、エネルギーを使ってきたからだ。
そのつけを、若者たちに払わせるのは、理不尽だ。
私たち大人こそ、その責任を負わなくてはならない。
日本でも、東京と京都で3月15日の行動に呼応したデモがあったという。
大きな規模ではなかったようだが、こうした若者たちを励まし、応援したい。
そして、そう考える仲間を増やしたい。
地球温暖化対策に消極的な政府や大人に抗議の声を上げようという目的で呼びかけられたもので、120か国、2000か所以上で行われたという。
★一人の行動が大きなうねりに
デモは、スウェーデンの高校生グレタ・トゥンベリさんの活動に触発されてのもの。
グレタさんは昨年夏、スウェーデン国内で起きた熱波と山林火災を問題視し、政府にパリ協定を順守し二酸化炭素を削減するようよう求めて、国会議事堂前で座り込み総選挙まで学校に行かないという学校ストライキを行った。
「気象危機は、危機として扱わなくてはならない。気候問題は選挙の最大の争点である」と主張し、総選挙後も週1回座り込みを継続したという。
そうしたグレタさんの行動が世界で注目され、グレタさんも、世界中の学生に学校ストライキを呼びかけるようになったというのだ。
気候変動のような大きな問題は、一個人の行動ではどうしようもないとか、明日からどうこうというような問題じゃないよね、と自分に言い聞かせて、ともすれば目を背けてしまいがちだ。
けれども、あきらめない若者がいる。一人でも行動を起こす。
そしてそれが少しずつ人の心に伝わり、やがて大きな運動になっていく。
それが現実として、目の前にある。
3月15日は、前項で紹介したように、ニュージーランドのクライストチャーチで2つのモスクを襲ったテロ事件が発生し、世間の注目はそちらに集まってしまった。しかし、このデモは、テロ事件に劣らず、あるいはそれ以上に注目しなければならない出来事であったと思う。
★温暖化の責任は、私たち大人にある
温暖化の被害を受けるのは、私たち大人ではなく、若者たちだ。
私たち大人が、考えなしに、暖房に、交通に、エネルギーを使ってきたからだ。
そのつけを、若者たちに払わせるのは、理不尽だ。
私たち大人こそ、その責任を負わなくてはならない。
日本でも、東京と京都で3月15日の行動に呼応したデモがあったという。
大きな規模ではなかったようだが、こうした若者たちを励まし、応援したい。
そして、そう考える仲間を増やしたい。
45 ニュージーランド銃規制
3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチで、イスラム教徒に対するテロが発生した。
一人の男が2つのモスクを襲い、散弾銃と半自動銃を乱射、50人もの人がなくなり、数十人が負傷したのだ。
ニュージーランドは英連邦に所属し白人が多く住む国であるが、元来はポリネシアの一派であるマオリ族の国である。
18世紀以降英国系入植者と先住民の間での争いの時代を経て、現在では、少数派に寛容な社会として評価されている。昨年は、女性首相が産休を取り出産、復帰後は夫(注)が育児ということで話題にもなり、平和で進歩的な国という印象であった。
その国でのテロが起きた。
新聞によれば、ニュージーランドでは、最近急速にイスラム系移民が増え、それに反発して「白人社会の再生」を掲げる極右団体が生まれてきていたという。
日本が見習うべき国の一つと思っていたニュージーランドで起きたテロに、私は暗澹とする思いだった。
ところが、ニュージーランド政府と国民は、その翌日からの行動で、私の不安を吹き飛ばしてくれた。
狩猟が盛んであり、また農業国でもあるこの国では、多くの農場で害獣駆除のために半自動銃が使われてきた。
銃の保有には免許が必要だが、16歳以上で講習を受ければ比較的容易に免許を取得できるという。購入した銃の登録制度はないので、複数の銃を持つ国民も多かったと考えられている。
これまで、銃による犯罪はまれだったという。(2006~2015の10年間を見ると、10件以上だったのは2年のみ。)そのため、これまで銃規制はなかなか進まなかった。
しかし、今回の大量虐殺を知った国民の間では、ただちに銃規制強化を求める声が高まった。
事件翌日以降、警察には、「自分の半自動銃を廃棄してほしい」という依頼が殺到しているという。また、銃を所有する多くの人々が、「持っている武器を当局に引き渡そう」とネットで呼びかけている。
〇(半自動銃は)農場では便利なツールだ。しかし、自分にとっての便利さよりも、誤った使い方をされるリスクの方が重要だ。
〇私たちの国ではこんなものは必要ない。こんなことは絶対に起きてはならない。
〇こうしたものが誤った人の手に渡れば凶器になりうることが分かった以上。それと引き換えに味わう不便さなどささいなことだ。
〇31年間にわたって銃を所有してきたが、金曜午後に事件のことを知ってから、これからはちゃんと考えなければと思った。月曜に出した答えが返納だ。これまでで最も簡単な決断の一つだった。
一方、政府と議会の動きも果断だった。
アーダーン首相は、乱射事件の翌日、「恐ろしいテロ行為」「こんなふるまいと考え方を拒絶しなければならない」と犯行を強く非難し、10日以内に銃規制の改革を発表すると宣言した。
(写真は、16日に記者会見するアーダーン首相)
6日後の3月21日、首相はその言葉通り、軍仕様の半自動銃や、銃器を半自動銃に改造するための部品などを禁じる銃規制強化の方針を打ち出し、新たな銃規制法を4月11日までに施行し、禁止対象の銃器を買い取る仕組みを整備すると発表した。
そして4月初旬に法案を議会に提出。それを受けて議会は、4月10日、半自動小銃などの所持を禁止する改正銃規制法案を賛成多数で可決した。
銃器買取のコストは、最大2億NZドル(日本円で約150億円)になるという。
なんという国だろう。
ニュージーランドの国民、政府、そして議会の素早い決断と行動力は本当に尊敬に値する。
何より、暴力否定の方向が一致しているところが素晴らしい。
多くの人が、もう一つの、銃規制が必要でありながら、規制しない(あるいはできない)彼の国と比較したことだろう。
《注》 アーダーン首相の夫は、テレビ・アナウンサー。出産当時は、正確にはパートナー。
結婚したのは昨日、5月3日。
一人の男が2つのモスクを襲い、散弾銃と半自動銃を乱射、50人もの人がなくなり、数十人が負傷したのだ。
ニュージーランドは英連邦に所属し白人が多く住む国であるが、元来はポリネシアの一派であるマオリ族の国である。
18世紀以降英国系入植者と先住民の間での争いの時代を経て、現在では、少数派に寛容な社会として評価されている。昨年は、女性首相が産休を取り出産、復帰後は夫(注)が育児ということで話題にもなり、平和で進歩的な国という印象であった。
その国でのテロが起きた。
新聞によれば、ニュージーランドでは、最近急速にイスラム系移民が増え、それに反発して「白人社会の再生」を掲げる極右団体が生まれてきていたという。
日本が見習うべき国の一つと思っていたニュージーランドで起きたテロに、私は暗澹とする思いだった。
ところが、ニュージーランド政府と国民は、その翌日からの行動で、私の不安を吹き飛ばしてくれた。
★ニュージーランド国民の反応に敬意
狩猟が盛んであり、また農業国でもあるこの国では、多くの農場で害獣駆除のために半自動銃が使われてきた。
銃の保有には免許が必要だが、16歳以上で講習を受ければ比較的容易に免許を取得できるという。購入した銃の登録制度はないので、複数の銃を持つ国民も多かったと考えられている。
これまで、銃による犯罪はまれだったという。(2006~2015の10年間を見ると、10件以上だったのは2年のみ。)そのため、これまで銃規制はなかなか進まなかった。
しかし、今回の大量虐殺を知った国民の間では、ただちに銃規制強化を求める声が高まった。
事件翌日以降、警察には、「自分の半自動銃を廃棄してほしい」という依頼が殺到しているという。また、銃を所有する多くの人々が、「持っている武器を当局に引き渡そう」とネットで呼びかけている。
〇(半自動銃は)農場では便利なツールだ。しかし、自分にとっての便利さよりも、誤った使い方をされるリスクの方が重要だ。
〇私たちの国ではこんなものは必要ない。こんなことは絶対に起きてはならない。
〇こうしたものが誤った人の手に渡れば凶器になりうることが分かった以上。それと引き換えに味わう不便さなどささいなことだ。
〇31年間にわたって銃を所有してきたが、金曜午後に事件のことを知ってから、これからはちゃんと考えなければと思った。月曜に出した答えが返納だ。これまでで最も簡単な決断の一つだった。
★ニュージーランド政府、議会の素早く毅然とした対応に敬意
一方、政府と議会の動きも果断だった。
アーダーン首相は、乱射事件の翌日、「恐ろしいテロ行為」「こんなふるまいと考え方を拒絶しなければならない」と犯行を強く非難し、10日以内に銃規制の改革を発表すると宣言した。
(写真は、16日に記者会見するアーダーン首相)
6日後の3月21日、首相はその言葉通り、軍仕様の半自動銃や、銃器を半自動銃に改造するための部品などを禁じる銃規制強化の方針を打ち出し、新たな銃規制法を4月11日までに施行し、禁止対象の銃器を買い取る仕組みを整備すると発表した。
そして4月初旬に法案を議会に提出。それを受けて議会は、4月10日、半自動小銃などの所持を禁止する改正銃規制法案を賛成多数で可決した。
銃器買取のコストは、最大2億NZドル(日本円で約150億円)になるという。
なんという国だろう。
ニュージーランドの国民、政府、そして議会の素早い決断と行動力は本当に尊敬に値する。
何より、暴力否定の方向が一致しているところが素晴らしい。
多くの人が、もう一つの、銃規制が必要でありながら、規制しない(あるいはできない)彼の国と比較したことだろう。
《注》 アーダーン首相の夫は、テレビ・アナウンサー。出産当時は、正確にはパートナー。
結婚したのは昨日、5月3日。
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