2017年4月13日木曜日

13.書類の保存について

 JADECは昨年5月に法人を解散し、今は任意団体として活動している。解散決定後は、法人の閉鎖処理というのが結構面倒だった。法務局や税務署に何度も問い合わせをしたり、出かけたりして書類を作り、やっと11月にすべての処理が終わった。と思ったら、スタッフの中から「いろいろな書類はどうするの?」という声が上がった。

 「種類って何?」「ほら、決算関係の書類だとか、理事会議事録だとか・・・」
 「とっておくのかね?」「法人はないんだから、もういらないんじゃないの」
 「JADECの活動の歴史として必要なものは残しておいた方がいい」
 「事業報告とかだね」「そうね」
 「経理の関係は?」「決算報告としてまとめられたものを保存しておけばいいんじゃないの」
 「会計の証拠書類とか原義(仕事における意思決定過程がわかるような書類のファイル)とかは保存しなくっていい?」
 「監査結果が評議員会で承認されて、Webサイトにも公開しているんだからいらないと思う」
 「でも、保存期間が5年とか7年とか規定があるんじゃないの?」
 「それは財団が続いているときの話でしょ。もう解散して、たまたま有志が任意団体として活動を続けているだけ。本来なら事務所をたたんでしまって、保存しておく場所だってないはず。規定なんか気にしなくてもいいんじゃないの」

 とは言ってみたものの、念のために規定を調べてみた。法人の場合、法律で保存が決められている文書(法定保存文書)には、内容によって期間が決められている。
 ①1~4年:人事労務関係(健康保険、雇用保険、労災保険、雇用・退職に関わる書類)
 ②5年   :経理・税務・庶務・人事労務関係(会計書類、事業報告、廃棄物処理関係など)
 ③7、10年:経理・税務・取引関係帳簿、取引証憑書類、課税・控除関係、決算関係書類)
 ④永久  :総務・庶務(定款、登記、訴訟、権利や財産の得喪関係、製品の開発設計関係)
となっている。根拠となる法律は、法人法、法人税法、労働基準法などである。しかし、結局のところ、解散した法人については明確に書かれたものはないので、自分たちの良心に従って保存するということにした。

   ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 なぜこんなことを書いているかと言えば、最近の省庁における書類の保存に対する姿勢が目に余るからである。吹けば飛ぶような小さな財団、それもすでに解散した法人においてさえ、活動の証拠や支払うべき金額確定の証拠になるような書類の保存について筋を通そうしているのに、である。 

 A:国有財産売却の交渉記録した書類を廃棄したという財務省
 B:PKO部隊の日報を廃棄したと答弁した防衛省(その後見つかったと報告)
 C:保存期間30年の「倉庫施設等変更登録書類」を10年で廃棄した国土交通省(2017年3月)

 Aは、背景に首相に対する忖度があったのではないかという疑義のある森友学園事件における問題である。(参照本ブログ第11項 新“お役所仕事”考) 財務官僚は、契約が締結したので国有地取引の交渉記録を廃棄したと言っている。それは財務省の内規による保存期間「1年未満」に該当するものであり、適切な処理だというのである。
 しかし、交渉記録というものはその取引が正当なものであるかの証拠になるもので、法人の場合で言うと、③の中の取引証憑書類に当たるものではないか。保存期間7年の分類に入るものである。それをもし本当に廃棄したというのであるなら、財務省の行政記録保存期間の内規そのものがおかしいのではないか。国民の財産の払い下げを仕事としているのであるから、そこに求められる公明正大さは民間の法人の日ではないはずだ。1年未満どころか、10年であってもよいくらいである。
 (以上の考えのもとに、「財務省行政文書管理規則」なるものを読んでみた。私の読解力では、国有地の払い下げに関する交渉記録の場合は、保存期間10年としか読み取れなかった。)

 Bの、当初廃棄されたとした日報というのは昨年7月のもので、12月の情報公開請求に対し防衛省は「廃棄した」として不開示の決定を出したのである。その後陸自内に保存されていたという報告があった。該当の日報は、PKO部隊派遣の判断のための重要な情報であり、今後の駆けつけ敬語を考える際の資料としても貴重なものである。そうしたものを半年もたたぬうちに廃棄するということ自体が考えられない。陸自が保存していたのは当然のことである。これを政府は、陸上自衛隊の制服組と背広組との連絡の不備から起きた問題として片づける意向のようだが、防衛省の文書管理の考え方自体が問題とみるべきではないか。

   ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 Cの問題も含めて、これらの問題は、行政書類の保存システムの問題だと考えられる。かりに今回の出来事が、保存期間の解釈ミスと言う悪意のないものだったとしても、そうした解釈ミスで重要な行政文書が廃棄されてはならない。また官僚の忖度が入り込む余地がないようにしなければならない。さらに、そこに官僚の忖度があったのではないかと疑義が生まれる余地がないようにしなければならない。

 アメリカの行政文書の保存の仕組みは徹底しているらしい。アメリカの国家公務員として10年間予算編成の仕事をしていた中林美恵子さん(元連邦議会上院予算委員会補佐官、共和党陣営/現早稲田大学教授)によれば、書類を保存するかどうかは、その仕事の担当者が決めるのではないという。書類保存を担当する部署があり、仕事が終わったものに関する書類をすべて持っていき、残すか残さないかを判断するのだという。担当者が使っていたカレンダーまで持っていくそうだ。そこに仕事に関するメモがあるという可能性があるからだという。
 
 日本の行政府には、ぜひこの書類保存の精神を学んでほしい。外交的にも安全保障の上でも難しい状況下で、国会が一つの問題に長く振り回されているのはどうなのか。堂々巡りの議論を続けていないで、二度とこうした問題を起こさないための対策づくりについて審議してもらいたい。国民に知らせたくない内容の文書は廃棄してしまうのかと疑われないように、きちんとしたルール作りをしてもらいたい。




 


2017年4月6日木曜日

12.桜が咲かなくなる日

 この1週間、各地から桜の便りが寄せられている。東京では全国に先駆けて3月21日に開花宣言があったのち、寒気が戻ったり雨が降ったりで、ようやく暖かくなった今週、やっと見ごろを迎えた。
 今年は全国的に桜の開花が遅いようである。それも特に南の九州でその傾向がある。鹿児島では、4月5日にやっと開花宣言が行われた。それは、ことしの鹿児島の3月が寒かったからというわけではなく、冬が寒くなかったせいであるというのである。

 桜の花芽は前の年の夏にでき、それからいったん「休眠」するという。その休眠は、冬の低温にさらされて眠りから覚める。それを「休眠打破」というそうだ。そして春になり、気温が上昇するにしたがって花芽が成長し「生成」するという。
 つまり、桜の開花には、春先の暖かさと同時に、秋から冬にかけての寒さが必要なのである。桜は四季のある日本だからこそ美しく咲く、ということである。今年の冬は、北の地方には大雪をもたらしたが、それ以外の地域では大変暖かかった。それが桜の目覚めを妨げ、開花を遅らせたということのようだ。
 この冬の暖かさはと旧温暖化のもたらしたもの。このまま温暖化が進んでいくと、やがて日本は亜熱帯になるという懸念も出ている。一年中暖かい常夏の国では桜は咲くことができなくなる。今年の桜の開花状況は、温暖化の進行を私たちに警告しているのではないか、とも思えるのである。

 民間気象会社のウェザーニュース社は、「100年後には東京で桜が咲かなくなる」という開花シミュレーションを2009年に発表している。
 気象変動に関する政府間パネル(Intergovamment Panel on Climate Change,略称IPPC:国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集・整理のための政府間機構)が予想した気温データを使って行ったものである。それによると、九州、四国と南の方からだんだん桜が咲かなくなっていき、2109年には東京でも咲かなくなるという結果になったという。




 3月28日、トランプ大統領は、オバマ大統領が進めた温暖化防止対策「クリーン・パワー・プラン」を見直すように命じる大統領令に署名した。温暖化対策の国際的枠組みの「パリ協定」にも否定的だ。アメリカのCO2排出量は、世界の排出量の15.2%、中国28.7%と合わせると40%を超える。アメリカの加わらない温暖化対策は、その効果を大きく減少させることになる。

 トランプ大統領は「環境より経済を重視する」としている。そもそも「地球温暖化」そのものについて疑念を持っているとも言われる。しかしアメリカの経済界においても、「地球温暖化は広く認められた科学であり、この問題に対処する環境技術は、環境保護だけでなく企業利益の点からも理にかなっている」とする企業も多い。GMや、最大石油メジャーのエクソンモービル社もそれらの一つである。エクソンモービル社というのは、トランプ政権における現国務長官ティラーソン氏が就任直前までCEOを務めた会社であり、氏自身も温暖化対策の必要性を認めているという。
 にもかかわらず、温暖化対策見直しの大統領令が出されてしまうというのは、どういうことなのか。トップの間違いを修正できないアメリカは、地球にとって大変危険な国になったと思わざるを得ない。

 桜が咲かなくならないようにするために、私たちは何をしたらよいのだろう。
 桜が咲かなくなる日を招くのは、いま生きている人間たちの責任である。
 


2017年4月5日水曜日

11.新“お役所仕事”考

かつて“お役所仕事”は「融通がきかない」の代名詞だった・・・


 ルール通り、前例通りにやる。つまり、状況に応じて「融通をきかせる」というようなことはしない。しかも対応が遅いというのが“お役所仕事”に対するこれまでの一般的認識であった。それはある意味で当然のことだと言える。その場その場で対応が違うというのでは不公平になるからである。また、律儀に受け付け順に対応するので、急いでいるものにとっては「対応が遅い」と感じられるのだ。
 少しは当事者の事情を酌量してほしい、ルールを逸脱しない範囲での裁量ぐらいしてくれてもいいじゃないか、と思うのが人情だ。しかし、“お役所”ではルールを盾に取り、書類の不備などを問題にして門前払いにするような対応が多いため、辞書に「役人根性:融通がきかず杓子定規で~」と書かれてしまうようなことになっているのである。

 ところが、今年2月中頃から国会の中心議題になっている“森友学園事件”では、役所の対応の様相が異なる。対応した役所のすべてが大変融通をきかせたようなのである。しかも迅速に。
 融通をきかせた内容というのは、森友学園の求めた国有地の払い下げと私立小学校の認可に対して、役所というのは財務省理財局、国土交通省大阪航空局、そして大阪府私学課である。

 *該当の国有地は、大阪府豊中市の国道沿いの8770㎡、評価額9億5600億円の土地。


異例の対応の連続で、小学校建設のハードルがクリアされた


 小学校開設を望んでいた森友学園(幼稚園・保育園を運営)が、その設置認可を得るためには、クリアしなければならない二つの高いハードルがあった。
 ①土地の自己所有 : 校庭は借地でもよいが、校舎は借地の上には建てられない。
 ②自己資金による土地取得と校舎建設 : 借入金ではいけない。
 小学校建設に必要な国有地の取得には9億円超、校舎建設には10数億円の費用がかかる。
当時純資産が4億円しかなかった森友学園には、小学校開設など到底無理な話であった。しかし、このハードルは驚くべき速度で、次々と役所が繰り出した異例の対応によりクリアされていった。



特別な力学が働いた・・・


 財政不安の森友学園が異例の速さで財務局提示価格のわずか10数%で国有地を取得した経緯を見て、自らも国有地の払い下げを受けての大学開設に苦労した船田元氏(衆議院議員)は、「特別の力学が働いたと思わざるを得ない」と、自身のメールマガジンで述べている。

 特別な力学とは何か。それは、安倍首相もしくはその周辺の関与、もしくは役人たちの安倍首相に対する「忖度(そんたく)」である。なぜなら、森友学園が土地取得に動いている2012年から2015年の間に、森友学園において安倍首相夫人が3回も講演をし、安倍氏自身の講演も予定されていたからである。
    2012年9月  安倍晋三氏講演予定(総裁選出馬のために取りやめ)
    2014年1月  昭恵夫人講演
    2014年12月 昭恵夫人講演
    2015年9月  昭恵夫人講演

 忖度というのは、「他人の心中を推しはかること。推察」(広辞苑)ということである。意味どおりのことであるなら、別に悪いことではない。自分勝手なふるまいをする者が、「ひと(他人)の気持になって考えなさい」と説教されるぐらいで、むしろ忖度は、人として持っているべき行動要素であると言ってもよいぐらいものである。
 問題は、誰が、誰に対し、どのような姿勢で「忖度」するのかということである。

 予算委員会では、安倍首相夫人が名誉校長ということなので、首相が望む方向の事案だと考え、役人たちが忖度したのではないかと野党が追求した。しかし、安倍首相とその周辺はそれを否定する。この森友問題の経緯においては「忖度の入り込む余地はなかった」と主張する。「霞が関には忖度するような官僚はいない」とまで言う。

筋が通らぬ役人たちの言い分


 本当に忖度はなかったのか? では、国有地払下げ経験者に「特別の力」を感じさせる異例の対応の連続は、なぜ起こったのか。森友学園に対する国有地払下げにかかわりのあった役人たちや首相の周辺は、対応はすべて適切であったとする。しかしその見解に多くの国民(日経新聞の世論調査では74%)は納得していない。

 国民の財産である国有地、それをいかに高い価格で払い下げるかが理財局の仕事だ。その理財局が、同じ土地に対してもっと高額の買い取りの申し入れをした大阪音大や豊中市を断り、時をおかずに森友学園に86%引きで売ってしまったというのは、腑に落ちない。
 開校に間に合わせるためにとか、風評被害を防ぐためにとかいろいろ理屈をつけているが、相手の事情を配慮しすぎていて、国の仕事としての厳正な審査、厳格なチェックを怠っているとしか思えない。これまでのいわゆる“お役所仕事”とはあまりにも様相が違う。
 入札にもせず、売却価格も公開せず、8億円のごみ処理費用を正しく使ったかどうかも確認もせずにというのは、どうにも筋が通らないのだ。

 これが適切な対応であったかどうかの判断は、交渉記録によって明らかにされるはずであるが、その交渉記録は契約が成立したので廃棄したという。しかし、森友への土地売却は10年分割払いであるから、契約は終了していないのではないか。10年間の間に問題が起こり、終了しない可能性もある。国有財産の払い下げともなれば、会計検査の対象となるものであるから、その関係資料はそう簡単に処分するはずはないと、元官僚たち、特に財務省関係者は強く言っている。
 もし本当に廃棄したのであれば、見られては困るものだからだと考えるのが自然だろう。

 自民党は、証人喚問での籠池氏に偽証があったとして、その証拠を得るために国政調査権を発動しようとしているが、国政調査権の対象とすべきはむしろこの土地取引にかかわった財務省、国土交通省の関係各局だというのが、私を含めて大方の国民の考えているところだろう。
 
*国政調査権(日本国憲法第62条より)
 両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言ならびに記録の提出を要求することができる。


本当のお役所仕事を


 役所における忖度の実態については、元官僚たちがTV局の取材や自身のブログで「忖度は日常的にある」と語っている。「上司が何を考えているのか忖度できなようなものには、仕事ができない」とまで言う人もいる。ただ、忖度した後の行動のしかたが問題だという。
 元経産省官僚の岸博幸氏(慶応大学大学院教授)は、「権力者の知り合いの案件だからこそ、手心を加えてそれが発覚したら大変なことになるので、従来の案件以上に慎重にかつ厳格に手続きを進める」というのが、官僚としてのあるべき姿であると言う。
 
 もっと言えば、公務員が本当に「忖度」すべきは一般国民、もしくは地域住民であり、そして国の行く末なのであって、上司や有力者ではないのである。それが“本当のお役所仕事”なのである。この事件を機に、そのことを“お役所”に働く人々は、肝に命じてもらいたい。
 辞書の次の版の「忖度」の記述に、「上司もしくは権力者の望むところを推測し、与えられてもいない依頼や指示を先取りして実行することを言う」などという意味が付け加わらないことを、切に願う。