しかし、このマスク配布、極めて評判が悪い。
いくつかのアンケート調査では、75~80%の人が「このマスクを使わない」と答えている。私の周辺でも、使うと言っている人はほとんどいない。
アベノマスクを使わぬ理由
第一はマスクの形状。大人には小さすぎ顎が出てしまう、話をしたりするとずり上がってきてしまう、耳が痛くなる、等々。
第二にかけられた経費。当初発表された額は466億円! たかが2枚のマスクにそんなに莫大な費用をかけるとは・・・(最終的には260億になったそうだが、それでも莫大だ。)
そして第三は、届くのが本当に遅かったこと。不良品の検品などがあったため、配布が本格的になったのは5月の半ば過ぎ。(我が家は6月3日)不織布のマスクも出回りはじめ、ネットの価格も下がり、服飾メーカーがオシャレなマスクを売り出しはじめた頃。手作りした人も多くなっていて、いまさら感が満載。
そもそもは、たんなる思いつき
この首相肝いりのプロジェクトは、最初から評判が悪かった。
「エイプリルフール?」と揶揄され、その経費の莫大さから「ばかげた計画」「もっとその費用を有効に使ってほしい」と多くの国民や野党議員から声が上がった。
にもかかわらず、この計画は強行された。途中、変色やゴミ・虫の混入など不良品が多く発見され、検品を行う必要が発生したりしたこともあって、更に評判が悪くなった。
計画の発端は、首相側近からの進言によるという。
中国に依存していたマスクが手に入らなくなり日本中がパニック状態に陥っていた頃のこと、「マスクを配ればあっという間に国民の不安はおさまる」と言われ、すぐ採用したという。
一斉休校同様、深く考えたものではなく、いわば思いつきの政策である。
効果あるプロジェクトにするための仕事をしたのか
トップの思いつきを、効果ある政策に仕上げていくのが部下の仕事、官僚の仕事だろう。
国民の間で最初から疑問視されていたその形状、その調達・配布経費、それを真剣に検討したのだろうか。
候補になったマスクを実際につけて見たか。
これは大人には適さないと思わなかったのか。
466億円という試算がされたとき、これは問題だと思わなかったのか。
マスク配布宣言より前、アイリスオーヤマが、工場の一部を改修しマスク製造工場を作ることを発表していた。建設費用30億円。最終的には月1億5千万枚製造できるというその工場では100人の雇用も生まれるという。
仮に466億円をマスク工場建設につぎ込むとすれば、単純計算で30のマスク工場ができ、月45億枚のマスクが生産でき3000人の雇用が生まれることになる。
それと比較すると、マスク配布はあまりにも費用対効果が小さい・・・・
とは思わなかったのか。
また、5000万世帯に配布するには2ヵ月以上かかるという予測は立てられなかったのか。
困っているそのときに洗いのきくマスクをもらえれば、多少形状に問題があっても、ありがたいと思えたかもしれない。
しかし、そう思える期間はせいぜい2週間ぐらいだろう。1ヵ月後ではどうなのか。
まして、2カ月後に1世帯にマスク2枚をもらって国民がありがたがるわけがない。
2ヵ月以上かかるという予測がなされて、実施されたのだとしたら、余りにもお粗末な判断だ。国民が、2カ月間何も対策を打たずに、ただ嘆いていると思ったのか。
何も予測を立てずに、実施されていたのだとしたら。あまりにもずさんな計画だ。
企業でプロジェクトを計画するときの重要な仕事に、工数計算というものがある。
その仕事はどういう工程から成り立つか、どういう人材がどのぐらい必要で、どのぐらい時間がかかるかといったことを、予測し算出するものである。
プロジェクトの目的を適切に果たすためには、そうした作業が欠かせないが、このマスク配布プロジェクトでは、それがなされたのであろうか。
はだかの王様
マスク配布プロジェクト、心の中では「これは愚策だ」と思った官僚たちは結構いたのではないか。しかし問題点をきちんと指摘し、換言したものはいなかったということだ。
このマスク配布プロジェクトから私は、「はだかの王様」を連想した。
愚か者には見えないという「魔法の布」、
国民があっという間に安心するという「布マスク」。
インチキを、インチキだと言わない家来たちにとりまかれている「王様」。
子どもに裸であることを指摘され、国民から笑われて、やっと気がついた「王様」。
何だか似ている。
マスク配布のような愚策が大見得切って実施される日本。
それは、まっとうな政策が実施されていないことを象徴しているような気がする。
このままにしていては、日本は立ち行かなくなるのではないか。
われわれ選挙民は、「王様ははだかだ!」と言って、大人たちの目を覚ました子どものように、
行動を起こさなくてはならない。