最高裁で夫婦別姓の訴えが退けられた。
6月23日、もう2カ月も前のことだが、そのときはちょうど住んでいるマンションの定期総会があり、理事である私はその準備作業でてんやわんや。ひとこと言いたいと思っていながら時間がたってしまった。
さて本題。言いたいのは「最高裁の判断はおかしい」ということ。
最高裁は、夫婦別姓について「婚姻や家族に対する法制度は国の伝統や、家族観、国民感情を含めた社会状況におけるさまざまな要因をふまえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての総合的判断によって定められるべきだ」と言っている。
とするなら、今この時代は、既に夫婦別姓に7割の人が賛成しているので、家族観・国民感情という条件はクリアされている。賛成の人たちは、別に全部別姓にせよと言っているわけではなく、同姓が良ければ同姓でよいというおおらかな主張で、同姓を望む人の権利を排除しようという意図などない。
もう一つの理由としてあげられた「国の伝統」という面では、夫婦同姓は日本の伝統文化でも何でもない。明治時代に民法が施行された際に決められたもので、たかだか120年ばかりのものだ。
むしろ夫婦別姓が日本の伝統だ。
例えば北条政子。言わずと知れた、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻である。しかし彼女は終生、北条政子であった。源政子にはなっていない。しかし、疎外されるどころか、鎌倉三代をまとめ上げた圧倒的妻であり、母であった。
そして日野富子。室町幕府八代将軍足利義政の妻である。彼女もまた足利富子にはなっていない。悪女というのが通説になっているが、最近の評価は、実際は足利幕府の財政を支えた功労者というものである。
そして清少納言。夫は橘則光、藤原棟世だがどちらの姓も受けてはいない。清の名は、生家の清原家(父は清原元輔)から来ている。
つまり、日本では、女性は生家の姓を名乗るのが伝統であり、夫婦別姓が当たり前だったのである。
「伝統を理由に夫婦別姓を排除した最高裁よ、顔を洗って出なおしてこい」と言いたいところだ。