2017年2月16日木曜日

10.「所領安堵」と「いざ鎌倉」

 世論調査(日本国内の)によれば、今回の安倍首相の米国訪問の成果については、約70%の人が「良かった」と評価しているそうである。野球であれば「ホームラン」と評価した評論家もいた。
 しかし私は、今回の訪問の経緯を見ていて、「所領安堵」という言葉を連想した。鎌倉時代、幕府が御家人の忠誠をつなぎとめるために用いた手段であったところの、あの「所領安堵」である。
 「所領安堵」には「いざ鎌倉」がついてくるということを考えておかなくてはならない。「鎌倉(幕府)」に何かあるときには、何をおいても駆けつけて、所領を安堵していただいている御恩に報いるためにご奉公をするということだ。武力が必要なときは、武力をもって対応するということだ。

【所領安堵】
 12世紀末(平安時代末期)頃から社会が不安定になり、土地などの私有財産を侵害されるような出来事がしばしば発生したため、財産所有者たちは強力な武力を持った有力者(やがて武士の頭領となっていく)に財産の保証を依頼、有力者はそれを保護し安全・安心(安堵)を与えること約束した。
 土地(所領)とその支配権を安堵することを特に「所領安堵」と言い、有力者は「所領安堵」の見返りとして、所領の主たちに一定の奉仕を求めた。この「安堵」と「見返り」としての奉仕が恒常的になっていき、やがて実力者と所領の主たちの関係が、主君と家来という関係に変わっていった。
 鎌倉時代はこの関係が特に重視され、「安堵」の見返りとしての奉仕のことを、鎌倉幕府に何事かあるときは何をおいてでも駆けつけ幕府のために働くというという意味で「いざ鎌倉」と呼ばれていた。
 
 トランプ大統領の「日本を100%支持するよ」の言葉の裏には、「だから米国も100%支持してね」という意図があるとみる必要がある。“最強の同盟国”なのだから当然だろう。しかし、トランプ政権の政策を100%支持するということは、国際協調とは逆行する道を行くことになりはしないか。
 
 ・イスラムを敵視する人、中国を敵視する人々を抱えるトランプ政権
  (「ここ10年のうちに米国は南シナ海で中国と戦うだろう」と公言する者までいる)
 ・政治犯1万3000人を死刑にし、各国から非難を浴びているアサド政権を助けるロシア、
  そのロシアと協力してシリア内戦を解決しようとするトランプ政権
 ・強い親イスラエル派で構成され、イスラエルにパレスチナ自治区での入植地建設を禁じた国連決議を非難するトランプ政権
 ・せっかく修復したイランとの関係を再び悪化させようとするトランプ政権
 ・地球温暖化をウソだと言い、パリ協定(国連気候変動枠組条約)から抜けると公言するトランプ政権

 国を護ってもらうお返しとしての「いざ鎌倉」、その内容が何になるのかわからないが、政府は、平和主義の国日本としての主体性をもって行動してほしいと強く願う。

2017年2月14日火曜日

9. 2月11日 その2

 20年ほど前の2月10日の夜、私は娘(5年生)と息子(3年生)に、「明日はどういう日だか知ってる?」と聞いた。
 二人とも「建国記念の日」であるということは知っていた。担任の先生が教えてくれたという。息子のクラスではそれ以上の話はなかったようだが、娘のクラスではもう少し話があったという。先生は子どもたちに次のように言ったという。
  「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」
 先生はそう断定したわけではなく、「~と言われているようです」という表現だったようだが、「それで?」と娘にさらに聞くと、それだけだったという。いつごろの話だとか、その話の根拠とか、「建国記念の日」がいつ制定されたのか、という話は一切なかったという。

 古代の日本には、大陸(朝鮮や中国など)から多くの人々がやってきた。日本の成り立ちと大陸からやってきた人々とは大いなる関係がある。しかしそれは、「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた」というようなものではない。
 「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」という表現は、そのいい加減さもさることながら、いろいろなイメージを子どもに与える危険性がある。「朝鮮が侵略してきてこの地域に日本と名づけた」「日本人の祖先=朝鮮の人」「ここは自分たちの国と決めることで国ができる」等々。
 日本の学校の授業では、教科書に書かれていることや、教師が話した(書いた)ことを覚えるというのが活動の中心になっている。 歴史は特にその傾向が強い。これは物事について自分で分析し考えることなく、「教科書に書いてあるんだもん」「先生が言っただもん」と、書いてあること教えられたことをそのまま正しいこととして受け止める姿勢を育ててしまう。 教師のいい加減な一言が、子どもに誤ったイメージを植え付ける可能性があり、おそろしいことであると思う。 

 しかし、だから正しい教科書を作れとか、教師は間違ったことを言うな、というつもりはない。絶対に正しい教科書とか、絶対に正しいことしか言わない教師などありえない。教科書なんか資料にすぎない。新しい史料、新しい遺物が発見されれば、それまで真実だと思っていた歴史の事実さえひっくり返ることだってあるのだから。
 教科書に書いてあること、先生が説明したことを後生大事に覚えておくなどということは歴史の学習でもなんでもない。歴史というのは、過去の人間が残した史料や遺物によって、過去の人間の行動とその結果が示されたものである。歴史の学習というのは、そうした残された史料や遺物を多面的に調べ分析し、その時代(の政治や産業など)を成り立たせた条件や時代を変えた条件をとらえること、そしてそのとらえたことを参考にして、自分が生きている今の時代を見る視点、その先の時代を切り開く視点を自分自身の中に育てていく学習なのだ、ということを子どもたちに掴んでほしいと思うのだ。

 そもそも、国(クニ)とはどういうものなのか。
 「領土」があって、「そこに住む民」がいれば「国」なのか?
 そのまとまりの大きさは? 集落や村とはどう違うのか?
 日本が、日本という国として対外的に認められるについては、長い経緯がある。
 それはどういうものであったか? 日本という名前が確認されたのはいつ頃だったのか?
 そのころの日本の周辺はどういう状況だったか?
 そのころ世界のほかの国々はどういう状況だったか?
 今、国はどのようにして、独立した国として認められるのか?
 世界の建国記念日とその経緯は?
 日本の建国記念の日はなぜ2月11日なのか?

 「建国記念の日」に、子どもたちに歴史的視点を育てようと思うのなら、教師の役目は、建国についていい加減で中途半端な説明をするのではなく、子どもたちから「国(クニ)」というものについての様々な疑問を引き出し、その成立について考えるきっかけをつくることではないか。

 20年後の今も、歴史は「暗記もの」であるとして、ほとんどの子どもたちに認識されている。
 教師たちは「建国記念の日」について、子どもたちにどんな話をしているだろうか。
 
 

 

 

2017年2月11日土曜日

8. 2月11日

毎年、この日になるとなんだか違和感を覚える。
2月11日は、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に政令により決められた。
2月11日というのは言わずと知れた紀元節の日。
紀元節とは、古事記、日本書紀において初代神武天皇が即位したとされている日である。
即位した年を皇紀元年といい、これは西暦でいうと紀元前660年であるという。

日本が中国の歴史書に登場してくるのは、紀元前1世紀のころからである。
   紀元前1世紀 漢書:「分かれて百余国」
   紀元1~2世紀 後漢書:「奴国」「金印」「献、生口(奴隷)160人」
   紀元3世紀 魏志倭人伝:「倭国大乱」「邪馬台国」「卑弥呼」
これらは学校の歴史の時間に学ぶことだ。

紀元前660年というと、「分かれて百余国」と書かれた時代よりさらに500年ほど前のことになる。
そんな時代に、天皇(大王)をいただく国家ができていたなどと歴史学者、考古学者は誰も考えていないし、神武天皇以下九代の天皇は実在の人物とは考えられてはいない。
そんな国もできていないし実在もしていない天皇が即位したという日を、建国記念の日の根拠とするというのは、いかにも科学的でない。科学的でない思考が国を動かしているという気がするのが、違和感の原因になっている。

現在世界には200国以上の国々が存在していて、それらのほとんどに建国記念日がある。そしてまたそのほとんどは、新しく国が成立した、またはそれに相当する事実があった日を記念日としている。その多くは独立記念日である。欧州の各国の植民地であった国々が、支配国から独立を果たした日、もしくは独立を宣言した日である。
  イギリスから独立したアメリカやカナダ、インド、ナイジェリア、パキスタン・・・
  フランスから独立したカンボジア、ベトナム、セネガル・・・
  スペインから独立したアルゼンチン、コロンビア、ペルー・・・
  ポルトガルから独立したアンゴラ、ブラジル・・・

独立記念日以外では、新しい政治制度に移行した日を記念日とする国もある。立憲君主制になった日を記念日とするデンマークやタイ、王政から共和制に移行したイタリアなどがそれである。
また、フランスは政治体制を変えるための革命が始まった日を革命記念日とし、キューバはキューバ革命を達成した日を解放記念日としている。
新しくはドイツ、東西ドイツが統一された日がドイツ統一の日として記念日となっている。

調べた範囲で最も古いのはスイスで、1291年に3つの州が自由と自治を守るために誓約同盟を結成した日を建国記念日としている。しかし、当たり前のことであるが、歴史の古い国ほど建国の年代は古くなるので、正式な建国の日は不明だという国もある。オランダは正式な建国記念日はなく、スペイン王の統治権否認の布告をした日を記念日としているし、また、ヨーロッパ最古の君主制国家イギリスには建国記念日そのものがない。18世紀初頭にカスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されてできたスペインにも建国記念日はない。

以上、ほとんどの国々が建国記念日、もしくはそれに相当する日としているのは、そうした事実のあった日である。しかし、例外が2つある(私の調べた範囲であるが)。
日本と韓国である。

日本の「建国記念の日」は2月11日、紀元前660年神武天皇即位の日。
韓国の建国記念日にあたる「開天節」は10月3日、紀元前2333年古朝鮮王国の祖、檀君が建国したとされる日。

建国の事実のあった日を記念する大多数の国々と、神話の中の日を記念として祝う2つの国。
隣り合った2つの国のこの発想は、それぞれどこへ向かっていくのだろうか。





2017年2月2日木曜日

7. 安倍さん、「立場」でなく「資格」ではないですか

トランプ大統領がテロ対策の一環でイスラム7か国の国籍保有者の入国を禁じた処理について、アメリカ国内ばかりか世界各国から非難の声が湧き上がっている。

●デブラジオ市長(ニューヨーク市長)
   我々は宗教の多様性と平等の理念を基本に築かれた国だ。
   大統領は今日、恥ずかしくも異なるメッセージを発した。
●オバマ元大統領(アメリカ)
   信仰を理由に個人を差別する考えには同意しない。
●トルドー首相(カナダ)
   迫害やテロ、そして戦争から逃れようとしている人たちへ。
   カナダ人は信仰に関係なく、あなたたちを歓迎する。多様性こそ我々の強さだ。
●メルケル首相(ドイツ)
   テロとの戦いは、人を出身や信仰でひとくくりにして疑うことを正当化しない。
●メイ首相(イギリス)
   この種の対応には同意しない。我々はそのような措置は取らない。
●オランド大統領(フランス)
   難民保護の原則を無視すれば、世界の民主主義を守ることが困難になる。

そして1月30日、国会で民主党代表蓮舫氏の質問に答えた、我が日本の首相。
トランプ大統領の発した命令について、次のように述べた。

   米政府の考えを示した示したものでコメントする立場にない。
   難民の対応は国際社会が連携していくべきだ。

支持するでもなく、反対でもない。
同盟国であり、10日後に会談を控えているという状況では、発言しにくかったのかもしれないが、はっきりと自分の考えを示した各国の首脳に比べると、曖昧で主体性のない姿勢を示してしまった。
せめて「コメントする立場にない」という言葉に続けて、
  「米国のこれまでの発展は、米国の自由と寛容性にあり、私はそれを尊敬してきた」
ぐらいのことを言って欲しかった。

さらに言えば、「コメントする立場にない」ではなく、「コメントする資格がない」というべきではなかったか。
日本は難民をほとんど受け入れていないからだ。
日本ほど難民の審査に厳しい国はなく、例えば2015年は申請者7586人に対し、認定されたのはたった27人だった。「入国管理が厳しいからこそ国の安全が得られる」として国が閉鎖的であることには合理性があるという考え方がその背景にある。もしかしたら、トランプ大統領令は「我が意を得たり」というところだったのかもしれない。

しかし、日本は今、観光立国を目指しているはずだ。
3年半後に東京オリンピックを控えて、その動きは高まっている。
観光立国の成功のポイントは、もてなし方もさることながら、心からの受け入れの姿勢であると思う。
日本の政府には「観光に来るのはいいんだけど、住むのはねえ・・・」ではなく、
「日本は住みやすい国です。どうぞ日本の文化と平和を満喫してください」と言えるような政策と対策をとって欲しい。
お金を落としてくれる観光客への、その場限りの「オ・モ・テ・ナ・シ」だけではなく。