20年ほど前の2月10日の夜、私は娘(5年生)と息子(3年生)に、「明日はどういう日だか知ってる?」と聞いた。
二人とも「建国記念の日」であるということは知っていた。担任の先生が教えてくれたという。息子のクラスではそれ以上の話はなかったようだが、娘のクラスではもう少し話があったという。先生は子どもたちに次のように言ったという。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」
先生はそう断定したわけではなく、「~と言われているようです」という表現だったようだが、「それで?」と娘にさらに聞くと、それだけだったという。いつごろの話だとか、その話の根拠とか、「建国記念の日」がいつ制定されたのか、という話は一切なかったという。
古代の日本には、大陸(朝鮮や中国など)から多くの人々がやってきた。日本の成り立ちと大陸からやってきた人々とは大いなる関係がある。しかしそれは、「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた」というようなものではない。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」という表現は、そのいい加減さもさることながら、いろいろなイメージを子どもに与える危険性がある。「朝鮮が侵略してきてこの地域に日本と名づけた」「日本人の祖先=朝鮮の人」「ここは自分たちの国と決めることで国ができる」等々。
日本の学校の授業では、教科書に書かれていることや、教師が話した(書いた)ことを覚えるというのが活動の中心になっている。 歴史は特にその傾向が強い。これは物事について自分で分析し考えることなく、「教科書に書いてあるんだもん」「先生が言っただもん」と、書いてあること教えられたことをそのまま正しいこととして受け止める姿勢を育ててしまう。 教師のいい加減な一言が、子どもに誤ったイメージを植え付ける可能性があり、おそろしいことであると思う。
しかし、だから正しい教科書を作れとか、教師は間違ったことを言うな、というつもりはない。絶対に正しい教科書とか、絶対に正しいことしか言わない教師などありえない。教科書なんか資料にすぎない。新しい史料、新しい遺物が発見されれば、それまで真実だと思っていた歴史の事実さえひっくり返ることだってあるのだから。
教科書に書いてあること、先生が説明したことを後生大事に覚えておくなどということは歴史の学習でもなんでもない。歴史というのは、過去の人間が残した史料や遺物によって、過去の人間の行動とその結果が示されたものである。歴史の学習というのは、そうした残された史料や遺物を多面的に調べ分析し、その時代(の政治や産業など)を成り立たせた条件や時代を変えた条件をとらえること、そしてそのとらえたことを参考にして、自分が生きている今の時代を見る視点、その先の時代を切り開く視点を自分自身の中に育てていく学習なのだ、ということを子どもたちに掴んでほしいと思うのだ。
そもそも、国(クニ)とはどういうものなのか。
「領土」があって、「そこに住む民」がいれば「国」なのか?
そのまとまりの大きさは? 集落や村とはどう違うのか?
日本が、日本という国として対外的に認められるについては、長い経緯がある。
それはどういうものであったか? 日本という名前が確認されたのはいつ頃だったのか?
そのころの日本の周辺はどういう状況だったか?
そのころ世界のほかの国々はどういう状況だったか?
今、国はどのようにして、独立した国として認められるのか?
世界の建国記念日とその経緯は?
日本の建国記念の日はなぜ2月11日なのか?
「建国記念の日」に、子どもたちに歴史的視点を育てようと思うのなら、教師の役目は、建国についていい加減で中途半端な説明をするのではなく、子どもたちから「国(クニ)」というものについての様々な疑問を引き出し、その成立について考えるきっかけをつくることではないか。
20年後の今も、歴史は「暗記もの」であるとして、ほとんどの子どもたちに認識されている。
教師たちは「建国記念の日」について、子どもたちにどんな話をしているだろうか。
2017年2月14日火曜日
2017年2月11日土曜日
8. 2月11日
毎年、この日になるとなんだか違和感を覚える。
2月11日は、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に政令により決められた。
2月11日というのは言わずと知れた紀元節の日。
紀元節とは、古事記、日本書紀において初代神武天皇が即位したとされている日である。
即位した年を皇紀元年といい、これは西暦でいうと紀元前660年であるという。
日本が中国の歴史書に登場してくるのは、紀元前1世紀のころからである。
紀元前1世紀 漢書:「分かれて百余国」
紀元1~2世紀 後漢書:「奴国」「金印」「献、生口(奴隷)160人」
紀元3世紀 魏志倭人伝:「倭国大乱」「邪馬台国」「卑弥呼」
これらは学校の歴史の時間に学ぶことだ。
紀元前660年というと、「分かれて百余国」と書かれた時代よりさらに500年ほど前のことになる。
そんな時代に、天皇(大王)をいただく国家ができていたなどと歴史学者、考古学者は誰も考えていないし、神武天皇以下九代の天皇は実在の人物とは考えられてはいない。
そんな国もできていないし実在もしていない天皇が即位したという日を、建国記念の日の根拠とするというのは、いかにも科学的でない。科学的でない思考が国を動かしているという気がするのが、違和感の原因になっている。
現在世界には200国以上の国々が存在していて、それらのほとんどに建国記念日がある。そしてまたそのほとんどは、新しく国が成立した、またはそれに相当する事実があった日を記念日としている。その多くは独立記念日である。欧州の各国の植民地であった国々が、支配国から独立を果たした日、もしくは独立を宣言した日である。
イギリスから独立したアメリカやカナダ、インド、ナイジェリア、パキスタン・・・
フランスから独立したカンボジア、ベトナム、セネガル・・・
スペインから独立したアルゼンチン、コロンビア、ペルー・・・
ポルトガルから独立したアンゴラ、ブラジル・・・
独立記念日以外では、新しい政治制度に移行した日を記念日とする国もある。立憲君主制になった日を記念日とするデンマークやタイ、王政から共和制に移行したイタリアなどがそれである。
また、フランスは政治体制を変えるための革命が始まった日を革命記念日とし、キューバはキューバ革命を達成した日を解放記念日としている。
新しくはドイツ、東西ドイツが統一された日がドイツ統一の日として記念日となっている。
調べた範囲で最も古いのはスイスで、1291年に3つの州が自由と自治を守るために誓約同盟を結成した日を建国記念日としている。しかし、当たり前のことであるが、歴史の古い国ほど建国の年代は古くなるので、正式な建国の日は不明だという国もある。オランダは正式な建国記念日はなく、スペイン王の統治権否認の布告をした日を記念日としているし、また、ヨーロッパ最古の君主制国家イギリスには建国記念日そのものがない。18世紀初頭にカスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されてできたスペインにも建国記念日はない。
以上、ほとんどの国々が建国記念日、もしくはそれに相当する日としているのは、そうした事実のあった日である。しかし、例外が2つある(私の調べた範囲であるが)。
日本と韓国である。
日本の「建国記念の日」は2月11日、紀元前660年神武天皇即位の日。
韓国の建国記念日にあたる「開天節」は10月3日、紀元前2333年古朝鮮王国の祖、檀君が建国したとされる日。
建国の事実のあった日を記念する大多数の国々と、神話の中の日を記念として祝う2つの国。
隣り合った2つの国のこの発想は、それぞれどこへ向かっていくのだろうか。
2月11日は、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に政令により決められた。
2月11日というのは言わずと知れた紀元節の日。
紀元節とは、古事記、日本書紀において初代神武天皇が即位したとされている日である。
即位した年を皇紀元年といい、これは西暦でいうと紀元前660年であるという。
日本が中国の歴史書に登場してくるのは、紀元前1世紀のころからである。
紀元前1世紀 漢書:「分かれて百余国」
紀元1~2世紀 後漢書:「奴国」「金印」「献、生口(奴隷)160人」
紀元3世紀 魏志倭人伝:「倭国大乱」「邪馬台国」「卑弥呼」
これらは学校の歴史の時間に学ぶことだ。
紀元前660年というと、「分かれて百余国」と書かれた時代よりさらに500年ほど前のことになる。
そんな時代に、天皇(大王)をいただく国家ができていたなどと歴史学者、考古学者は誰も考えていないし、神武天皇以下九代の天皇は実在の人物とは考えられてはいない。
そんな国もできていないし実在もしていない天皇が即位したという日を、建国記念の日の根拠とするというのは、いかにも科学的でない。科学的でない思考が国を動かしているという気がするのが、違和感の原因になっている。
現在世界には200国以上の国々が存在していて、それらのほとんどに建国記念日がある。そしてまたそのほとんどは、新しく国が成立した、またはそれに相当する事実があった日を記念日としている。その多くは独立記念日である。欧州の各国の植民地であった国々が、支配国から独立を果たした日、もしくは独立を宣言した日である。
イギリスから独立したアメリカやカナダ、インド、ナイジェリア、パキスタン・・・
フランスから独立したカンボジア、ベトナム、セネガル・・・
スペインから独立したアルゼンチン、コロンビア、ペルー・・・
ポルトガルから独立したアンゴラ、ブラジル・・・
独立記念日以外では、新しい政治制度に移行した日を記念日とする国もある。立憲君主制になった日を記念日とするデンマークやタイ、王政から共和制に移行したイタリアなどがそれである。
また、フランスは政治体制を変えるための革命が始まった日を革命記念日とし、キューバはキューバ革命を達成した日を解放記念日としている。
新しくはドイツ、東西ドイツが統一された日がドイツ統一の日として記念日となっている。
調べた範囲で最も古いのはスイスで、1291年に3つの州が自由と自治を守るために誓約同盟を結成した日を建国記念日としている。しかし、当たり前のことであるが、歴史の古い国ほど建国の年代は古くなるので、正式な建国の日は不明だという国もある。オランダは正式な建国記念日はなく、スペイン王の統治権否認の布告をした日を記念日としているし、また、ヨーロッパ最古の君主制国家イギリスには建国記念日そのものがない。18世紀初頭にカスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されてできたスペインにも建国記念日はない。
以上、ほとんどの国々が建国記念日、もしくはそれに相当する日としているのは、そうした事実のあった日である。しかし、例外が2つある(私の調べた範囲であるが)。
日本と韓国である。
日本の「建国記念の日」は2月11日、紀元前660年神武天皇即位の日。
韓国の建国記念日にあたる「開天節」は10月3日、紀元前2333年古朝鮮王国の祖、檀君が建国したとされる日。
建国の事実のあった日を記念する大多数の国々と、神話の中の日を記念として祝う2つの国。
隣り合った2つの国のこの発想は、それぞれどこへ向かっていくのだろうか。
2017年2月2日木曜日
7. 安倍さん、「立場」でなく「資格」ではないですか
トランプ大統領がテロ対策の一環でイスラム7か国の国籍保有者の入国を禁じた処理について、アメリカ国内ばかりか世界各国から非難の声が湧き上がっている。
●デブラジオ市長(ニューヨーク市長)
我々は宗教の多様性と平等の理念を基本に築かれた国だ。
大統領は今日、恥ずかしくも異なるメッセージを発した。
●オバマ元大統領(アメリカ)
信仰を理由に個人を差別する考えには同意しない。
●トルドー首相(カナダ)
迫害やテロ、そして戦争から逃れようとしている人たちへ。
カナダ人は信仰に関係なく、あなたたちを歓迎する。多様性こそ我々の強さだ。
●メルケル首相(ドイツ)
テロとの戦いは、人を出身や信仰でひとくくりにして疑うことを正当化しない。
●メイ首相(イギリス)
この種の対応には同意しない。我々はそのような措置は取らない。
●オランド大統領(フランス)
難民保護の原則を無視すれば、世界の民主主義を守ることが困難になる。
そして1月30日、国会で民主党代表蓮舫氏の質問に答えた、我が日本の首相。
トランプ大統領の発した命令について、次のように述べた。
米政府の考えを示した示したものでコメントする立場にない。
難民の対応は国際社会が連携していくべきだ。
支持するでもなく、反対でもない。
同盟国であり、10日後に会談を控えているという状況では、発言しにくかったのかもしれないが、はっきりと自分の考えを示した各国の首脳に比べると、曖昧で主体性のない姿勢を示してしまった。
せめて「コメントする立場にない」という言葉に続けて、
「米国のこれまでの発展は、米国の自由と寛容性にあり、私はそれを尊敬してきた」
ぐらいのことを言って欲しかった。
さらに言えば、「コメントする立場にない」ではなく、「コメントする資格がない」というべきではなかったか。
日本は難民をほとんど受け入れていないからだ。
日本ほど難民の審査に厳しい国はなく、例えば2015年は申請者7586人に対し、認定されたのはたった27人だった。「入国管理が厳しいからこそ国の安全が得られる」として国が閉鎖的であることには合理性があるという考え方がその背景にある。もしかしたら、トランプ大統領令は「我が意を得たり」というところだったのかもしれない。
しかし、日本は今、観光立国を目指しているはずだ。
3年半後に東京オリンピックを控えて、その動きは高まっている。
観光立国の成功のポイントは、もてなし方もさることながら、心からの受け入れの姿勢であると思う。
日本の政府には「観光に来るのはいいんだけど、住むのはねえ・・・」ではなく、
「日本は住みやすい国です。どうぞ日本の文化と平和を満喫してください」と言えるような政策と対策をとって欲しい。
お金を落としてくれる観光客への、その場限りの「オ・モ・テ・ナ・シ」だけではなく。
●デブラジオ市長(ニューヨーク市長)
我々は宗教の多様性と平等の理念を基本に築かれた国だ。
大統領は今日、恥ずかしくも異なるメッセージを発した。
●オバマ元大統領(アメリカ)
信仰を理由に個人を差別する考えには同意しない。
●トルドー首相(カナダ)
迫害やテロ、そして戦争から逃れようとしている人たちへ。
カナダ人は信仰に関係なく、あなたたちを歓迎する。多様性こそ我々の強さだ。
●メルケル首相(ドイツ)
テロとの戦いは、人を出身や信仰でひとくくりにして疑うことを正当化しない。
●メイ首相(イギリス)
この種の対応には同意しない。我々はそのような措置は取らない。
●オランド大統領(フランス)
難民保護の原則を無視すれば、世界の民主主義を守ることが困難になる。
そして1月30日、国会で民主党代表蓮舫氏の質問に答えた、我が日本の首相。
トランプ大統領の発した命令について、次のように述べた。
米政府の考えを示した示したものでコメントする立場にない。
難民の対応は国際社会が連携していくべきだ。
支持するでもなく、反対でもない。
同盟国であり、10日後に会談を控えているという状況では、発言しにくかったのかもしれないが、はっきりと自分の考えを示した各国の首脳に比べると、曖昧で主体性のない姿勢を示してしまった。
せめて「コメントする立場にない」という言葉に続けて、
「米国のこれまでの発展は、米国の自由と寛容性にあり、私はそれを尊敬してきた」
ぐらいのことを言って欲しかった。
さらに言えば、「コメントする立場にない」ではなく、「コメントする資格がない」というべきではなかったか。
日本は難民をほとんど受け入れていないからだ。
日本ほど難民の審査に厳しい国はなく、例えば2015年は申請者7586人に対し、認定されたのはたった27人だった。「入国管理が厳しいからこそ国の安全が得られる」として国が閉鎖的であることには合理性があるという考え方がその背景にある。もしかしたら、トランプ大統領令は「我が意を得たり」というところだったのかもしれない。
しかし、日本は今、観光立国を目指しているはずだ。
3年半後に東京オリンピックを控えて、その動きは高まっている。
観光立国の成功のポイントは、もてなし方もさることながら、心からの受け入れの姿勢であると思う。
日本の政府には「観光に来るのはいいんだけど、住むのはねえ・・・」ではなく、
「日本は住みやすい国です。どうぞ日本の文化と平和を満喫してください」と言えるような政策と対策をとって欲しい。
お金を落としてくれる観光客への、その場限りの「オ・モ・テ・ナ・シ」だけではなく。
2017年1月30日月曜日
6. 自由の女神は何を思うか
沖縄に駐留する軍隊の傍若無人なふるまいや、様々な国々への非難すべき軍事介入、
日米貿易の歴史において重ねられた日本に対する理不尽ともいえる要求・・・
そういった数々のマイナス要因はあるが、
それでも多くの日本人はアメリカが好きだし、世界のリーダーとみなしてきた。
それは、単に経済力が強大であるとか、科学技術が進んでいるとかだけでなく、
自由と人権、そして多様性を守るという姿勢、
そして世界に対してどう貢献するかという大義を感じてきたからだと思う。
そのアメリカのシンボルであるのが「自由の女神」。
アメリカへの入り口の一つであるニューヨーク港内のリバティ島に
外国からの人々を迎えるように立っている。
自由の女神像の台座には、詩が刻まれているという。
エマ・サラザス(1849-87)というユダヤ系アメリカ人の詩人のものだ。
その詩の中に、女神の言葉として語られる、次のような一節があるという。
私が受け入れるのは、疲れた人、貧困にあえぐ人
自由を切望しながら身を寄せ合う民衆
他国の海岸でみじめに拒否されたたくさんの人々
彼らをどうぞ、私のもとへ
嵐にもまれて身の置き所もない彼らを
私はここで、黄金の扉の前で、
明かりを持って待っています
国籍、人種、宗教を問わず、誰も拒むことなく受け入れ、
その個人の能力を持って自由に生きることができる、
というのがアメリカ本来の理念であったのだ。
そして、それゆえにアメリカには世界から有能な人が集まり、発展してきた。
就任演説で、「アメリカ・ファースト」を繰り返し、メキシコ国境への壁建設や
難民およびイスラム教7カ国の国籍保有者の入国を禁ずる大統領令を出したトランプ大統領に、
女神は何を思うだろうか。
日米貿易の歴史において重ねられた日本に対する理不尽ともいえる要求・・・
そういった数々のマイナス要因はあるが、
それでも多くの日本人はアメリカが好きだし、世界のリーダーとみなしてきた。
それは、単に経済力が強大であるとか、科学技術が進んでいるとかだけでなく、
自由と人権、そして多様性を守るという姿勢、
そして世界に対してどう貢献するかという大義を感じてきたからだと思う。
そのアメリカのシンボルであるのが「自由の女神」。
アメリカへの入り口の一つであるニューヨーク港内のリバティ島に
外国からの人々を迎えるように立っている。
自由の女神像の台座には、詩が刻まれているという。
エマ・サラザス(1849-87)というユダヤ系アメリカ人の詩人のものだ。
その詩の中に、女神の言葉として語られる、次のような一節があるという。
私が受け入れるのは、疲れた人、貧困にあえぐ人
自由を切望しながら身を寄せ合う民衆
他国の海岸でみじめに拒否されたたくさんの人々
彼らをどうぞ、私のもとへ
嵐にもまれて身の置き所もない彼らを
私はここで、黄金の扉の前で、
明かりを持って待っています
国籍、人種、宗教を問わず、誰も拒むことなく受け入れ、
その個人の能力を持って自由に生きることができる、
というのがアメリカ本来の理念であったのだ。
そして、それゆえにアメリカには世界から有能な人が集まり、発展してきた。
就任演説で、「アメリカ・ファースト」を繰り返し、メキシコ国境への壁建設や
難民およびイスラム教7カ国の国籍保有者の入国を禁ずる大統領令を出したトランプ大統領に、
女神は何を思うだろうか。
2016年10月20日木曜日
5. 新座発、東京大停電
10月12日午後、東京都区部で約58万戸にのぼる大規模な停電が発生した。原因は、埼玉県新座市にある東京電力の送電設備に火災が発生したこと。通気口から吐きだされる黒煙と、消防隊が消火に当たる様子がTVで長々と放送されたため、家人や遠くに住む親族・知人から心配の電話やメールがいくつもあった。
ところが、新座の私たちの研究室のあるこのマンションには何の影響もなく、火事のこともそれらの電話で知ったくらいである。火事の現場は新座市の中心部で、研究室より東北方向に5キロぐらい離れたところ。免許更新に行く新座警察署の近くと判明したので、マンション(7階建て6階部分)の廊下に出てそちらの方向を見てみると、太く真っ黒な煙がどんどんのぼってくる様子が観察できた。
火事はその日の深夜まで続いたようだが、送電はいろいろなルートからできるようになっており、川口市の変電所などから供給するよう切り替えたため、停電そのものは概ね20分~1時間で復旧した。
しかし、この停電による大都市東京の交通網は相当に乱れた。西武線の完全復旧はその日の午後9時ごろ、9万人の足に影響が出た。また新宿区、豊島区、練馬区、港区では約200箇所の信号機が停止、出会いがしらの事故も発生したという。
東京都に勝るとも劣らない大都会ニューヨークでは、大規模停電が度々起きている。1965年13時間、1977年27時間、そして2003年は43時間。原因は、発電所への落雷、送電線業務の分社化によるメンテナンスの不備などである。
1977年の27時間の大停電を経験したある日本人は、今回の東京大停電について「10分で復旧したことが驚き」と語り、日本の送電システムの素晴らしさについて評価していたが、わずか1ルートの送電線が使えなくなったことで、このような混乱が起きることについては、災害大国日本に住むものには重要な問題として認識されなければならないと、私は思う。
それは、日本が世界に侃たる災害列島だということからである。特に心配なのは大地震である。大地震が起これば、必ずといってよいほど停電が発生する。1週間、時には数週間続く例もある。交通や、照明ばかりでなく、現代の日本人の生活は、余りにも電気に依存している。電気・ガス・水道などと言うが、実はガスも水道も使うには電気がいるのだ。給水にモータが欠かせないマンションでは、水が出なくなる。飲み水にもトイレにも困ることになる。もちろん、煮炊きもできなくなる。
また、都市部では自分たちが放出する熱(自動車、冷暖房、炊事等々)でヒートアイランド現象を作り出している。酷暑の続く夏場に停電などが起これば、温度調節ができずに、何人が熱中症でなくなることだろうか。
大地震が起これば、あちらこちらで災害が発生し、交通網も遮断されるので、そう簡単に救助や災害の復旧は行われないと見なければならない。電話も使えなくなるし、携帯の電源もじきに切れ、外部への連絡もままならなくなる。考えるだに恐ろしいことだ。
大地震はいつ来るのかわからない。首都圏では、30年以内に大地震が発生する確率は70%と言われている。いつ来てもおかしくないとさえ言われている。しかし、そのことに対して果たして対応できているのか。
今回の新座発大停電は、そういった意味で、貴重な警鐘であった。
わが町わが県の行政がいかに災害に強い生活システムを構築していくかを見張ると共に、自分自身の生活における電気の依存度を下げる工夫をしたいと思う。
2016年10月19日水曜日
4. もし、私の住む町が沖縄だったら
夫の知り合いから、“拡散希望”で、URL付きのメールが届きました。
URLをクリックすると、そこには次のような文が・・・・・・
東村山では、子どもや女性は夜中にコンビニには行きません。
酔っぱらった米兵に襲われるからです。
ここにはたくさんの米軍基地があり、
たまに米軍機が落ちて、住宅を壊し、市民の命を奪います。
市長が抗議しても、国は知らん顔。
トトロの森が新しい米軍基地の候補地になり、
その付近の学校も、保育園も、田中さんの有機農業の畑も、
ぜ~んぶ強制移動を迫られています。
田中さんたち東村山市民は、住民投票で「基地NO!」を可決。
選挙で市民派の議員を当選させ、訴訟を起こしました。
「なぜ、東村山ばかりに米軍基地があるのか」
怒りに燃え、接収された土地のフェンスの前に座り込む市民に対し、
国は機動隊を出動させました。
東村山は、ここ新座からは数キロ、ほとんど隣町と言ってもよいところです。
えっ!? いつから? そりゃ大変だ。あわてものの夫は青くなりました。
落ち着いて! タイトルをよく見て!
「10月のテーマ:もし、東村山が沖縄だったら??」とあります。
東村山の市民グループ(デモクラシーCafe@東村山)が開催したデモカフェの案内文でした。
次の文が続いています。
こんなことが沖縄で起きています。
なぜこんなことが起こるのか、一緒に考えてみませんか?
先月16日、翁長知事が取り消した辺野古の埋め立て承認を巡り、国が沖縄県を相手に起こした訴訟で、福岡高裁那覇支部は国の訴えを認め、沖縄県が敗訴しました。
「え~、そうなの。沖縄がかわいそうすぎるよね」と、夫と二人で怒りました。
「代替基地は辺野古しかないとは何だ! 政府の言い分をそのまま受け売りじゃないか。判事は自分で調べたのか!」
「この判決文を書かせるために、政府寄りの判事を赴任させたという噂があるわよ」
沖縄敗訴のニュースは、我が家でとっている新聞、我々が見ているTVのニュース番組でも取り上げられましたが、それほど大きな扱いではなく、それも1日で収束してしまいました。毎日のように取り上げられる豊洲市場問題、オリンピック会場問題や、微に入り細に入り伝えられる凶悪犯罪の手口などと比較すると、小さな問題として片づけられたという感じです。
沖縄の問題は、本土では大きな問題にはなりません。遠く離れた、それも海を隔てた島での話。身近な問題として考えられず、また自分の身に降りかかることでもないと思っているからでしょう。
沖縄県にだけ負担させられた、国からの重い重い荷物。
それは何と言っても不当です。
沖縄県民も、同じ日本国民として幸福を追求する権利があるはずです。
どういう解決方法があるか、なかなか難しい問題ですが、沖縄の問題を日本国民全体の問題として共有する必要があると思います。
そのためには、まず、沖縄の痛みを、自分の痛みとして感じる努力をしよう。
デモクラシーCafe@東村山の企画は、沖縄問題を自分の問題としてとらえるための、素晴らしいアイディアだと思います。
私も、この新座で考えてみようと思いました。
皆さんもやってみませんか?
URLをクリックすると、そこには次のような文が・・・・・・
東村山では、子どもや女性は夜中にコンビニには行きません。
酔っぱらった米兵に襲われるからです。
ここにはたくさんの米軍基地があり、
たまに米軍機が落ちて、住宅を壊し、市民の命を奪います。
市長が抗議しても、国は知らん顔。
トトロの森が新しい米軍基地の候補地になり、
その付近の学校も、保育園も、田中さんの有機農業の畑も、
ぜ~んぶ強制移動を迫られています。
田中さんたち東村山市民は、住民投票で「基地NO!」を可決。
選挙で市民派の議員を当選させ、訴訟を起こしました。
「なぜ、東村山ばかりに米軍基地があるのか」
怒りに燃え、接収された土地のフェンスの前に座り込む市民に対し、
国は機動隊を出動させました。
東村山は、ここ新座からは数キロ、ほとんど隣町と言ってもよいところです。
えっ!? いつから? そりゃ大変だ。あわてものの夫は青くなりました。
落ち着いて! タイトルをよく見て!
「10月のテーマ:もし、東村山が沖縄だったら??」とあります。
東村山の市民グループ(デモクラシーCafe@東村山)が開催したデモカフェの案内文でした。
次の文が続いています。
こんなことが沖縄で起きています。
なぜこんなことが起こるのか、一緒に考えてみませんか?
先月16日、翁長知事が取り消した辺野古の埋め立て承認を巡り、国が沖縄県を相手に起こした訴訟で、福岡高裁那覇支部は国の訴えを認め、沖縄県が敗訴しました。
「え~、そうなの。沖縄がかわいそうすぎるよね」と、夫と二人で怒りました。
「代替基地は辺野古しかないとは何だ! 政府の言い分をそのまま受け売りじゃないか。判事は自分で調べたのか!」
「この判決文を書かせるために、政府寄りの判事を赴任させたという噂があるわよ」
沖縄敗訴のニュースは、我が家でとっている新聞、我々が見ているTVのニュース番組でも取り上げられましたが、それほど大きな扱いではなく、それも1日で収束してしまいました。毎日のように取り上げられる豊洲市場問題、オリンピック会場問題や、微に入り細に入り伝えられる凶悪犯罪の手口などと比較すると、小さな問題として片づけられたという感じです。
沖縄の問題は、本土では大きな問題にはなりません。遠く離れた、それも海を隔てた島での話。身近な問題として考えられず、また自分の身に降りかかることでもないと思っているからでしょう。
沖縄県にだけ負担させられた、国からの重い重い荷物。
それは何と言っても不当です。
沖縄県民も、同じ日本国民として幸福を追求する権利があるはずです。
どういう解決方法があるか、なかなか難しい問題ですが、沖縄の問題を日本国民全体の問題として共有する必要があると思います。
そのためには、まず、沖縄の痛みを、自分の痛みとして感じる努力をしよう。
デモクラシーCafe@東村山の企画は、沖縄問題を自分の問題としてとらえるための、素晴らしいアイディアだと思います。
私も、この新座で考えてみようと思いました。
皆さんもやってみませんか?
3. 「断じて許さない!」でよいのか
聞くたびに気になる言葉がある。
「断じて許すことはできない。強く抗議します」という言葉だ。
9月5日、北朝鮮が日本の排他的経済水域内に3発のミサイルを撃ち込んだということに対する日本政府がこの言葉で抗議した。その前に北朝鮮が洋上からミサイルを発射した際(8/3)、さらに遡って6月22日のミサイル発射の際にも、この言葉を聞いた。安倍首相の口から聞くことが最も多い。
そしてこの言葉には、たいてい我が国の、あるいは国際的な「安全保障上に重大な脅威」ということばが組み合わされている。
この一連の言葉には、いったいどういう効果があるのかと考えてしまう。
北朝鮮の行為を抑止するという意味での発言と考えているのなら、まず、それは逆効果だと言わざるを得ない。それは、ごく一般的な言葉に置き換えて考えてみると、よくわかる。
相手のとった行為に対して、「それは私たちの生命を脅かす危険な行為だ。だから絶対に反対しする」と言っているのである。相手が、脅す目的でやっている行為に対して、その効果があったと言っていることになる。相手は「してやったり」と思うだけのことである。
いくら強い口調で「断じて許さない」と言ってみたところで、何の効果もない。単なる強がりにしかならない
一方、韓国政府は今回のミサイル発射について、「国際的緊張を高めるだけで、何の効果もない」というコメントを出していた。北朝鮮に対して「無駄なことはやめた方がよい」という忠告とも思われるメッセージであった。韓国にとって北朝鮮は、同朋の国であるから、そうした発言になるのかもしれないが、これはなかなか良い感じのメッセージだと感じた。日本も、この方向でメッセージを出すのがよいのではないか。
北朝鮮に対して「ミサイル発射で脅すというのは、あなたたちの国にとって得策ではない」ということ、「国際協調の中で生きていくべきだ」ということ、「このままあなたたちがこのような行動をとり続けるのなら、世界の中で孤立し、未来を失うだけだ」ということを伝えるのである。
「かつての我が国の失敗を振り返って、心から忠告する」と言えれば、さらに効果的だと思う。
(平和国家日本からのメッセージを考える)
「断じて許すことはできない。強く抗議します」という言葉だ。
9月5日、北朝鮮が日本の排他的経済水域内に3発のミサイルを撃ち込んだということに対する日本政府がこの言葉で抗議した。その前に北朝鮮が洋上からミサイルを発射した際(8/3)、さらに遡って6月22日のミサイル発射の際にも、この言葉を聞いた。安倍首相の口から聞くことが最も多い。
そしてこの言葉には、たいてい我が国の、あるいは国際的な「安全保障上に重大な脅威」ということばが組み合わされている。
この一連の言葉には、いったいどういう効果があるのかと考えてしまう。
北朝鮮の行為を抑止するという意味での発言と考えているのなら、まず、それは逆効果だと言わざるを得ない。それは、ごく一般的な言葉に置き換えて考えてみると、よくわかる。
相手のとった行為に対して、「それは私たちの生命を脅かす危険な行為だ。だから絶対に反対しする」と言っているのである。相手が、脅す目的でやっている行為に対して、その効果があったと言っていることになる。相手は「してやったり」と思うだけのことである。
いくら強い口調で「断じて許さない」と言ってみたところで、何の効果もない。単なる強がりにしかならない
一方、韓国政府は今回のミサイル発射について、「国際的緊張を高めるだけで、何の効果もない」というコメントを出していた。北朝鮮に対して「無駄なことはやめた方がよい」という忠告とも思われるメッセージであった。韓国にとって北朝鮮は、同朋の国であるから、そうした発言になるのかもしれないが、これはなかなか良い感じのメッセージだと感じた。日本も、この方向でメッセージを出すのがよいのではないか。
北朝鮮に対して「ミサイル発射で脅すというのは、あなたたちの国にとって得策ではない」ということ、「国際協調の中で生きていくべきだ」ということ、「このままあなたたちがこのような行動をとり続けるのなら、世界の中で孤立し、未来を失うだけだ」ということを伝えるのである。
「かつての我が国の失敗を振り返って、心から忠告する」と言えれば、さらに効果的だと思う。
(平和国家日本からのメッセージを考える)
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