2021年8月18日水曜日

69 「100年に一度の豪雨」が毎年

 8月に入って、日本各地で大雨の被害が出ている。

熊本県、大分県、長崎県、広島県・・・

TVニュースをみながら家人と話し合う。

「あれ、ここ、去年かおととし、水が出た所じゃない?」

「確か川が決壊して」「田んぼが水浸しだ」

「ここはちょっと前、すごい土砂崩れがあった所だよね」

「やっと復旧できたところだろうに、大変だなあ。100年に一度の豪雨って言わんでくれ、毎年なんだから。」


どこかの町(村? 市?)で自治体の避難指示が遅れたという報道があった。

もう指示を待っている状況じゃない。毎年来るものと考え準備しておく。

自分で情報をきちんと取り、いつでも対応するという姿勢でいなければならない。

そういう事態になったようだ。


一方、自治体は、そして国はどう対応するのか。

それぞれの地域で状況は異なるだろうが、たとえば、堤防が決壊していないのに、2年前同様に広範囲の浸水が発生し病院が孤立した佐賀大町町、ここは明らかに排水能力の不足だ。

大型地下調節池などを設け、さばき切れない水を受けとめる対策は取れなかったのか。2年前と全く同じ状況が発生するというのはいかにも情けない。

多くの自治体がこうした課題をもっている。

「自然の猛威は如何ともしがたい。避難あるのみ」「自助でお願いします」では、行政機関が存在する意味がない。





2021年4月22日木曜日

68 コロナより恐れるべきもの

今年、桜は見なかった。3月の半ばから 咲きはじめ、4月の声を聞く前に終っていた。

季節の進み方が速い・・・ 昨日、4月21日。気温25℃を超えた。昨年より10日も早い夏日。この先も気温の高い日が続くようで、今年も暑い暑い夏がやってくるのは確実だ。

昨年の8月の熱中症による死者は、コロナによる死者より多かった。連日35℃を超える地域が続出だった。

大型台風の接近も多かった。日本近海の海水温が30℃に達し、台風が日本の近くに来て発達したからだ。

同じ水域、一昨年は27℃程度であったという。1年で3℃上昇。地球温暖化のスピードが上がっているのだろうか。

今年はいったい何度になるのか? 5年後は、そして10年後は? コロナ以上に怖い。


コロナとの闘い、国の対策は実にお粗末だ。

何が日本モデルだ。国民に自粛を強要するばかりだ。

人流も止めず(それどころか促進した)、検査もせず、医療機関の支援もせず、ワクチンも遅れている。

しかしそれでも、欧米のような1日に万を超える感染者は出ていない。

マスク、手洗い、距離、換気・・・ 感染防止の方法を、多くの人々が心得ていて実行しているからだろう。

人々がその努力を続け、やがてワクチン接種が進めば、そのうち(1年もたてば)感染は治まっていくことだろう。


しかし、温暖化はどうだろう。

昨年の夏、アメリカのデスバレーでは54℃を超えたという。インドは50℃を超える熱波で、ここ5年で5000人ほどが亡くなっているという。

温暖化はどんどん進んで行っているという気がする。


昨年の夏、国は、温暖化への立ち向かい方について、国民には何も示さなかった。

コロナのことばかりで、熱中症を生み出す暑さの原因となる温暖化については、どう行動すべきかというメッセージを出さなかった。

TV・新聞の報道も、熱中症の予防が中心だった。

どのTV局でも「エアコンを使うように」と言っていた。安眠のためには、夜は26℃以下の設定にして布団をかけて寝よ、とまで言う専門家もいた。

しかし、そうするとエアコンの室外機からは40℃以上の熱風が吹き出される。エアコンを使えば使うほど、地球は熱くなっていくということだ。さらにエアコンが必要になる。

その悪循環を続けていってよいのか、エアコンのスイッチを入れるたびに心が痛む。


温暖化の原因はCO2を生み出す我々の生活だ。生活を支える産業のあり方だ。温暖化を止めるにはそれを切りかえなければならない。

コロナ対策はもちろん重要だが、温暖化についても、それに劣らぬように、もっと本気で取り組まなくてはならない。

後戻りができない状態になる前に。




2020年9月25日金曜日

67 リーダーについていけますか?

リーダーシップの育成は常に社会的問題だ。
政治の世界では、まさにこれが最大の課題で、リーダーたちがその資質を問われている。
しかし、リーダーを批判している者たちが、次のリーダーになる力量の持ち主かといえば、そうとも思えない。
つい先ごろまでトップリーダーの座にあった人に対して、大方の国民から「他よりまし」というような程度でしか支持されてこなかった。
なぜ、この人になら任せられる、この人にならついて行けると、思えなかったのだろうか。

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ついて行く側の視点で、リーダーのあるべき姿、行動を分析してみよう。
取り上げるのは、優れたリーダーシップが発揮され、危機を乗り越えた事例。
2010年8月に起きた南米チリのサンホセ鉱山の落盤事故で、地下700mの地中に閉じ込められた33人が、69日後に無事生還した出来事。
リーダーシップを発揮したのは、現場監督のルイス・ウルアス氏54歳。
サンホセ鉱山には、2か月前から従事していた。


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事故が起きてから、彼が最初にしたのは、安全地帯に鉱夫たちを移動させたことと、3つの調査班をつくり、抜け出す道がないかを探索させたこと。
そして脱出できないとわかったとき、鉱山の構造と落盤の状況から救出の手が届くまでを20日と推測し、皆に、全員がチームとなって地上に連絡する手立てを工夫するという方向を示した。

ついで、皆で決断した方向を進めるための環境づくり、組織作り、規律作り。
食事をする場所、寝る場所、トイレの場所を決め、33人が生き延びるために食料と飲み物の配分を決定した。また33人を11人ずつ3チームに分け、8時間交代で仕事をするようにし、生活場所の衛生管理や、落盤や落石の恐れがある所のパトロールを行った。
チームにはそれぞれリーダーを置き、食糧管理係、通信係、警備係、医療係などを、それぞれの能力を活かして役割分担させた。そして、重要事項の決定には、一人1票の民主主義制を採用した。


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ついて行くものが第一に求めるのは、行動すべき方向、そしてその手立てと見通しだろう。
それが最善のものだと思え、それならできそうだと思える。
脳は「困難なことだが、これならできそうだ」と思えるとき、最も意欲的になり、活性化し、行動を生み出すのである。
ウルアス氏の示したものは、鉱山労働経験30年、地質学にも詳しく、誰よりも鉱山を熟知しているその能力から生み出されたもので、誰もが納得いくものだった。地上との連絡が取れるまでの期間の予測も的中し、そのことも信頼を高める要素となったことだろう。

つぎは、適切な仕事の分担と人選。進むべき方向に対して、互いに納得がいくとともに、自分自身の存在が実際に貢献できていると自覚できる。
それは、脳にとって「快」の状態をもたらし、意欲を生み出すことになる。

そして最後は公明性と公平性。民主的な方法をとり入れ、皆が納得できる決定プロセスのもとでルールを作り、リーダー自身もそれに従う。
これは仲間としての一体感・共感を生み出すとともに、リーダーの無私で真摯な姿勢を伝えることになる。


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リーダーシップは、それが発揮される場・状況によって、その内容は同じではない。
しかし、要素は共通している。
8年近く、日本のトップリーダーの座にあった人の場合は、「進むべき道として示した方向」「人選(人事)」「公明性と公平性」、そのすべてにおいて問題があった。
そのため、国民の心は離れていった。

このたび新しくリーダーとなった人は、果してリーダーたるべき行動をとることが出来るだろうか。
3つの視点から、しっかり見極めていきたいものである。













 

2020年9月16日水曜日

66 海水温30℃の意味

2年で3℃上昇 
 
今年、日本近海の海水温は、2年前の27℃から3℃上がって30℃に達したという。 
あの広い海の水温が2年で3℃も上がるということには、いったいどういう意味があるのか。

 地球レベルの気候の変化はそう急激に訪れるものではない。 
1880年から2012年の132年の世界の平均気温の上昇分は0.85℃。 
しかし、同じ132年の間の日本の平均気温の上昇分は1.14℃。
さらに東京では3.2℃も上昇している。 
人間が多く住むところ、そして人口の密集する都市部である。 

 気温を押さえて来たのは、草原や森林、南極や北極、そして陸の2倍以上の面積をもつ海。
その中で、特に貢献度の高いのが海だという。


海の働き

気温上昇の原因は、CO2の増加による地球温暖化であると考えられている。
CO2は人間の産業・経済活動の発達とともに増え続け、地球温暖化は確実に進んでいると研究者たちは指摘している。
しかしこれまで、そのCO2の増加の度合いから予測された程には、大気の温度である気温は上がってこなかったという。
その理由は海。海水がその温度を吸収してきたためであるという。
代わりに、海水温がじわじわと上昇してきたのだというのである。

昔、夏の夕方の海岸は涼しかった。
太陽で熱せられた空気が、海水温で冷やされて温度が下がるからである。
まさに水冷式、天然のラジエターである。

しかし30℃になってしまった海では、30℃以下には冷やせない。
海が熱を吸収しくれなくなったとき、大気の温度は急速に上がっていくだろう。
もしかすると、もうそういう段階にまで来たのかもしれない。
次々に更新される各地の最高気温、その報道を見ているとそんな心配が湧き上がってくる。


エアコンで暑さ対策しているだけでよいのか

この暑さに対し世の中は、熱中症をどう予防するかしか問題にしていないように見える。
TVニュース、ワイドショー、それに新聞ではエアコンの使用を勧める。
寝るときには寒いぐらいに温度を下げ、冬の布団をかけろとまで言うアドバイザーまで登場する。

しかしエアコンをつければ、熱い空気が室外機から排出されるのだ。
暑い大気を、もっと暑くしてしまうことになる。
(我が家のエアコンを30℃設定で稼働させた時、排気された空気は38~39℃だった。)

私たちは、ただ、この暑さをどうしのぐのかということだけ考えていてよいのか。
この暑さを押さえるためににはどうするかを考え、行動しなければならないのではないか。

ここ2.3日涼しかったが、明日からまた暑さがぶり返すと夕方のTVニュースが報じていた。












65 7枚のマスク

「あなたはどう受けとめましたか?」
テニスの2020全米オープン大会の優勝インタビューの際に、大坂なおみ選手が質問者に対して返した言葉である。

大坂選手は大会中、理不尽に殺害された黒人被害者の名前を書いた黒いマスクをつけて、会場に入場した。

1枚のマスクに一人ずつの名前が白い文字で書かれた黒いマスク。 1試合ごとに異なる名前が書かれ、決勝までの7試合で7枚のマスクがつけられた。

質問者は、マスクをつけたのはどういうメッセージだったのか、と大坂選手にたずねたのである。


それに対して大坂選手は、逆に質問者に対して「あなたはどう受けとめましたか?」と問い返した。

大坂選手がその7枚のマスクをつけたことを、質問者自身がどう感じ、何を考えたのかと問うたのである。そして、つぎのようにつけ加えた。

「そのことについて話し合ってもらいたかった。考えてほしいと思った。」


決勝までの7試合の間に、マスクについて大坂選手が語ったことは、「7枚用意した」「決勝まで勝ち進んで全部見せたい」「7枚では足りない事が悲しい」ということだけだった。

彼女はマスクに被害者の名前を記すことで、それを見た人たちが、「この名前の人は誰?」「彼らに何が起こったの?」と思い、「どういう事実があったのか」を自分で調べ、「そのことについて考え」「周りの人と話し合う」という行動をしてほしいと思ったのだ。

彼らに起こった出来事は「あって良いことなのか」「なぜ続くのか」・・・

どうしたら、皆が理解しあい、助け合って生きて行く世の中にして行くことが出来るのか・・・


メッセージは、それを見聞きしたものがどう受けとめ、何を考え、どう行動するかが大事なのだ、と彼女は言っている。自分のメッセージは意味あるものであったかを彼女は知りたかった。

日本の中にも差別はある。さすがにアメリカのような殺害事件はないが、外国人労働者や技能実習生、朝鮮系の学校に対する行政不当な待遇や、周囲の人の心ない言動を数々耳にしている。最近では、コロナ陽性者や医療・介護従事者に対する差別的な言動が数多く発生していることが報道されている。

大坂選手の言葉、しっかりと受けとめかみしめたい。



2020年7月21日火曜日

64 情緒的ことばより、科学的・経済的根拠を

「適切に対処していく」
「万全の処置をとる」
「これまでにない発想で」
「機動的に、必要かつ十分な」
「間髪を入れずに」
「一気呵成に」
「速やかに対処する」

形容詞をちりばめた首相の言葉。
しかし何の根拠も示されないその対策。
前から感じて来たことではあったが、
今回のコロナ対策では状況の展開が速く、数々の対策の失敗が目に見えるので、
余計言葉の空しさを強く感じる。

「世界最大級の」「空前絶後の」と自負する経済対策も、
「真水は少ない」ともっぱらの評判だ。

緊急事態宣言解除の際の、
「日本モデルの力を示した」という言葉には思わず笑ってしまった。
日本モデルって何?

一斉休校、布マスク配布、外出自粛、
37.5℃4日間自宅待機、PCR検査抑制、
なかなか届かぬ定額給付金、むずかしい持続化給付金申請・・・

日本モデルとは「首相の思いつき+国民の我慢」ということか?
力も金も出し惜しみの対策か?
不満の声が大きくなったら、政策を手直しする方式か?

首相の思いが込もった言葉より、
その対策の科学的根拠、経済的根拠が欲しい。
もっと医療の現場や、困窮の現場の実態を見極めた対策が欲しい。
そしてもっと仕事の実務を踏まえた対策が欲しい。

また、その対策の欠陥が明らかになったときには、
それを速やかに認める勇気と、
一気呵成に方向を修正する行動力が欲しい。




2020年6月29日月曜日

63 マスク配布プロジェクトはなぜ実施されてしまったのか

全世帯2枚ずつのマスク配布プロジェクトは、首相が宣言した4月1日から2ヵ月半後の6月15日終了した。
しかし、このマスク配布、極めて評判が悪い。
いくつかのアンケート調査では、75~80%の人が「このマスクを使わない」と答えている。私の周辺でも、使うと言っている人はほとんどいない。


アベノマスクを使わぬ理由


第一はマスクの形状。大人には小さすぎ顎が出てしまう、話をしたりするとずり上がってきてしまう、耳が痛くなる、等々。

第二にかけられた経費。当初発表された額は466億円! たかが2枚のマスクにそんなに莫大な費用をかけるとは・・・(最終的には260億になったそうだが、それでも莫大だ。)

そして第三は、届くのが本当に遅かったこと。不良品の検品などがあったため、配布が本格的になったのは5月の半ば過ぎ。(我が家は6月3日)不織布のマスクも出回りはじめ、ネットの価格も下がり、服飾メーカーがオシャレなマスクを売り出しはじめた頃。手作りした人も多くなっていて、いまさら感が満載。


そもそもは、たんなる思いつき


この首相肝いりのプロジェクトは、最初から評判が悪かった。
「エイプリルフール?」と揶揄され、その経費の莫大さから「ばかげた計画」「もっとその費用を有効に使ってほしい」と多くの国民や野党議員から声が上がった。

にもかかわらず、この計画は強行された。途中、変色やゴミ・虫の混入など不良品が多く発見され、検品を行う必要が発生したりしたこともあって、更に評判が悪くなった。

計画の発端は、首相側近からの進言によるという。
中国に依存していたマスクが手に入らなくなり日本中がパニック状態に陥っていた頃のこと、「マスクを配ればあっという間に国民の不安はおさまる」と言われ、すぐ採用したという。
一斉休校同様、深く考えたものではなく、いわば思いつきの政策である。


効果あるプロジェクトにするための仕事をしたのか


思いつきが悪いというわけではない。
トップの思いつきを、効果ある政策に仕上げていくのが部下の仕事、官僚の仕事だろう。
国民の間で最初から疑問視されていたその形状、その調達・配布経費、それを真剣に検討したのだろうか。

候補になったマスクを実際につけて見たか。
これは大人には適さないと思わなかったのか。

466億円という試算がされたとき、これは問題だと思わなかったのか。
マスク配布宣言より前、アイリスオーヤマが、工場の一部を改修しマスク製造工場を作ることを発表していた。建設費用30億円。最終的には月1億5千万枚製造できるというその工場では100人の雇用も生まれるという。
仮に466億円をマスク工場建設につぎ込むとすれば、単純計算で30のマスク工場ができ、月45億枚のマスクが生産でき3000人の雇用が生まれることになる。
それと比較すると、マスク配布はあまりにも費用対効果が小さい・・・・
とは思わなかったのか。

また、5000万世帯に配布するには2ヵ月以上かかるという予測は立てられなかったのか。
困っているそのときに洗いのきくマスクをもらえれば、多少形状に問題があっても、ありがたいと思えたかもしれない。
しかし、そう思える期間はせいぜい2週間ぐらいだろう。1ヵ月後ではどうなのか。
まして、2カ月後に1世帯にマスク2枚をもらって国民がありがたがるわけがない。

2ヵ月以上かかるという予測がなされて、実施されたのだとしたら、余りにもお粗末な判断だ。国民が、2カ月間何も対策を打たずに、ただ嘆いていると思ったのか。

何も予測を立てずに、実施されていたのだとしたら。あまりにもずさんな計画だ。
企業でプロジェクトを計画するときの重要な仕事に、工数計算というものがある。
その仕事はどういう工程から成り立つか、どういう人材がどのぐらい必要で、どのぐらい時間がかかるかといったことを、予測し算出するものである。
プロジェクトの目的を適切に果たすためには、そうした作業が欠かせないが、このマスク配布プロジェクトでは、それがなされたのであろうか。


はだかの王様


マスク配布プロジェクト、心の中では「これは愚策だ」と思った官僚たちは結構いたのではないか。しかし問題点をきちんと指摘し、換言したものはいなかったということだ。

このマスク配布プロジェクトから私は、「はだかの王様」を連想した。
愚か者には見えないという「魔法の布」、
国民があっという間に安心するという「布マスク」。

インチキを、インチキだと言わない家来たちにとりまかれている「王様」。
子どもに裸であることを指摘され、国民から笑われて、やっと気がついた「王様」。
何だか似ている。

マスク配布のような愚策が大見得切って実施される日本。
それは、まっとうな政策が実施されていないことを象徴しているような気がする。
このままにしていては、日本は立ち行かなくなるのではないか。
われわれ選挙民は、「王様ははだかだ!」と言って、大人たちの目を覚ました子どものように、
行動を起こさなくてはならない。