2019年8月19日月曜日

56 子どもたちに教えられた本当の民主主義

国民はイライラしている


国会ではなぜキチンと話し合いができないのか。
多くの国民がいら立ちを持ってみている。
それぞれの主張を言い張るばかり、相手のミスをあげつらうばかりで、歩み寄ることをしない。
それを修正するための対案を出さない。

意見が割れたときは、絶対といってよいほど合意には至らない。
意見が割れたまま、多数を握る者たちが、強引に採決に至る。

合意できない理由はいつも相手のせいだ。
自分たちの案を取り入れないと非難しておきながら、
取り入れると変節だと責め立てる。
反対することにこそ意味がある、と言わんばかりである。

しかし、よく考えてみると・・・


われわれ自身にもそうしたところが多々ある。
戦後日本は、戦前の体制を反省し民主主義の形成に力を入れてきた。
学校では学級会や生徒会の場を使い、民主主義による合意形成の方法を指導してきた。
だがその実態は、ほとんどが「民主主義=多数決」という一義的なもの。
主張された複数の異なる意見について決をとり、
多数を得たものが全面的に場をしきるという形で終わる。

意見をすり合わせるとか、少数意見を取り込むという経験をしてきていない。
そういう教育を受けてきた、そういう行動経験しかしてきていない国会議員たちが、
いまの国会の状況を生み出しているとも言えるだろう。
協力しないのではなく、協力できない。
協力して課題に立ち向かうという行動体質そのものが育っていないのである。

民主主義の本質


民主主義は「いかに多くの人の心を寄り添わせるか」というところに、その真髄がある。
「小異を捨てて大同につく」、そのうえで「大同の中にいかに小異を残すか」ということである。
目指すところは同じでも、そこの迫るための考え方・方法論はさまざまだ。
それを闘わせるが、譲れるところは譲り、歩み寄り、合意形成をしていくのが民主主義である。
どうしたら、その方向に向かうことができるのだろうか。

ここで思い出したのは・・・


「私たちの学校」という60年前の映画。
水海道小学校(茨城県水海道市)の自治活動を描いたものである。
水海道小学校の子どもたち自らが演じてエピソードを再現する形で製作された。

当時水海道小学校では10の自治活動の部があり、映画はその中の体育部の活動を中心に描く。
ある年の運動会、プログラムを決める際に、希望する種目がかち合ってしまって起こる学年の対立と、体育部と児童会がそれを解決するまでの活動が描かれている。

水海道小学校では、運動会の企画運営一切が体育部に任されていた。
この対立の解決のための活動も、教師はわずかばかりの助言はするが、
ほとんどは児童主体で進められた。

体育部員たちは双方の学年のクラスごとに主張を聞きに行き、それをもとに協議する。
その結果、上の学年に対し、希望する種目を下の学年に譲ってくれないかと交渉するのである。
そして譲る代わりに、上の学年に対して新しい魅力的な種目を提案する。
上の学年は、了承し運動会のプログラムは全クラスの賛同を得て無事成立する。
背景にあるのは、共通の目標のためにそれぞれが譲り合う姿勢。
より力のあるものが多く譲り、弱いものを守るという基本姿勢である。

この映画の中で描かれた子どもたちの行動、
合意形成のために意見を集約し、アイディアを出し合い協議し、提案し交渉するという姿は、
民主主義とかこういうものかと実感するよい手本だ。
これからの日本築いていく子どもたちには、
ぜひこうした行動のしかたを身につけてもらいたいと思う。

遠回りかもしれないが、本当の民主主義を育てるには、
教育の場におけるこうした活動を積み重ねていくことが必要なのではないかと思う。


      ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


実はこの稿、今から8年前のJADECの機関紙(JADECニュース85号)に書いたものを
少しばかり手直ししたものである。

当時は東日本大震災からの7か月後、民主党政権の時代。自民党が野党であった。
国会では、どのように復興を進めて行くか、
ということで議論が展開されていたのであるが、それがなかなかまとまらない。
その状況に対して思うところを書いたものである。

圧倒的多数ではなかった民主党政権は、自公が反対すると何も決められなかった。
与野党が逆転した今、こんどは相次ぐ合意なき強行採決。
やはり議論は成立してはいない。

8年後の今、この稿が今の国会の状況について書いたもの、
と言ってもほとんど違和感がないことに、暗たんたる思いである。

7月21日の参議院選挙の結果、多少議席は減らしたとはいえ、
自公政権の態勢は変わらず続くことが明らかになった。
国会の体質は、内側からは変わる可能性は小さいということだ。
となると、変えるのは外の力。
私たち国民の力以外にないということである。



 




















2019年6月27日木曜日

55 どうする、“プラごみ大国”日本! ②

前項に続いてプラごみ対策問題。
今回は、その国際動向を調べてみた。
プラごみ輸出の問題もあるが、特に大きな問題となっているのは「海洋プラスチック汚染」。
捨てられたプラスチックが海の生態系をおびやかしているという問題で、地球レベルで早急に考えなくてはならない状況として認識されている。

▼2015年9月/国連SDGs

 SDGs(持続可能な開発目標)は、世界が2016年~2030年の15年間で達成するために掲げた17の目標で、国連が2015年9月「持続可能な開発サミット」で採択したものである。
 その14番目が海洋と海洋資源の保全、「海の豊かさを守ろう」である。
「2025年までに、海洋ごみや富栄養化を含む、特に陸上活動汚染など、あらゆる種類の海洋汚染を防止し、大幅に削減する」としている。
 この SDGsを採択した加盟国193か国には、日本も含まれている。

 

 

▼2016年1月/ダボス会議

「プラスチックごみによる海洋汚染」が、地球環境に及ぼす特に重大な問題として国際的な共通認識になったのは、2016年1月にスイスのジュネーブで開催されたダボス会議での、エレン・マッカーサー財団の報告だったようだ。
財団は「世界の海洋には毎年500万~1300万トンのプラスチックごみが流入し、生態系をおびやかしている」「海水中に含まれるプラスチックごみの量は2050年には、海に生息する魚の重量よりも重くなる」との推計結果を報告したのである。
この会議には、日本から甘利、塩崎、河野の3大臣と日銀の黒田総裁が参加していた。

*エレン・マッカーサー財団
 循環型経済の推進を活動目標とするイギリスの財団。
 2005年にヨットの世界1周単独航海の世界記録を打ち立てたエレン・マッカーサー氏が設立。
    

▼2017年6月/国連海洋会議

初の国連海洋会議が開催され、国や企業、市民社会が持ち寄った海洋環境の改善に向けての行動を起こす仕組みづくりが話し合われた。日本からは、JAMSTEC(海洋開発機構)やアジア太平洋3R推進フォーラムの取り組みなどが持ち込まれた。
この会議には、さかなクン(さかなの帽子でおなじみのあの“さかなクン”)が、プラスチック廃棄物により海が危機的状況にあることと、彼がとるアクションについてのビデオメッセージが寄せられている。(メッセージは、ネットで視聴可)


▼2017年12月/中国

12月末、中国が主として生活由来の廃プラスチックの輸入を禁止
日本の2017年の廃プラスチックの輸出は143万トン。中国の輸入禁止をうけて日本は、翌年の輸出先を、タイ、マレーシア、ベトナム、台湾に変更した。
中国はペレットについては禁止していなかったので、その輸出は継続された。


▼2018年6月8~9日/G7サミット

カナダで開催された先進国首脳会議(G7サミット)で、「海洋プラスチック憲章」が採択された。
海洋プラスチック汚染の対策として、使い捨てプラスチックの使用量を削減するなど世界各国に具体的な対応を促すもの。
日本は、アメリカと共に署名を拒否。(!?) 数値目標が義務的・期限付きであり、産業界との調整時間不足のためと、環境省は拒否の理由を説明。
しかし、使い捨てプラスチック削減の問題は、1年前の海洋会議ですでに提案されている問題で、その後の1年間、企業に対してどういう働きかけをしてきたのか、その経緯については説明されていない。


▼2018年6月~11月/日本

環境省にプラスチック資源小委員会を設置することを閣議決定。
 (やっと?)
 

▼2018年6月末/国連

国連環境計画(UNEP)が、世界のプラごみ対策状況の調査報告をまとめた。 
それによると、使い捨てプラスチック製品の生産を禁止したり、使用時に課金するなどの規制を導入済みの国・地域が少なくとも67以上あると報告されている。


▼2018年8月~11月/日本

環境省プラスティック資源小委員会8月17日に第1回目を開催。
原則として毎月1回の開催。1回目、2回目は国内外の状況について話し合われた。
第3回会議(10月)に、プラスチック資源循環戦略素案が出た。
11月、パブリックコメント募集。


▼2018年10月/バリ島国際会議

エレンマッカーサー財団がインドネシアのバリ島で、国連環境計画(UNEP)の支援により国際会議「New Plastics Economy Global Commitment」を開催。
世界から290の企業・団体が参加した。コカコーラ、ペプシコ、ネスレ、ダノン、ユニリーバ、アムコア(包装資材)など、いずれもグローバルな事業展開をしているところで、それらが生産しているプラ容器は世界の20%を占めるという。
この会議では、下記のようなプラスチックごみ削減宣言を行った。署名各社は、1年半ごとに自社の実施目標を見直し、達成度を公表するという。

 ●不要なプラ容器削減や、使い捨てプラ製品を再利用型へ切り替える。
 ●プラスチック包装を、2025年までに100%再利用可能な素材に転換する。

この活動には、WWF(世界自然保護基金:世界最大規模の環境NGO )、世界経済フォーラム、
消費財フォーラム(世界の消費財小売り及びメーカーのCEO主導組織)のほか、40の大学・研究機関、学者らも支援を表明している。
 また、欧州投資銀行、BNPパリバ証券(本部:パリ)、ING(オランダ)など15以上の金融機関も参加。プラスチック対策の循環経済を作り出すための支援を約束しているという。

残念ながら、この宣言に日本企業は一つも参加していない


▼2019年3月/EU

欧州連合(EU)の欧州議会で、ヨーロッパの海岸で最も多く見つかる使い捨てプラスチック製品10品目を、2021年までに禁止することを可決。また2025年までにペットボトルの90%をリサイクルするという目標も含まれている。

 

▼2019年5月/インド

5月に行われた選挙で圧勝し再選されたインドのモディ首相は、2022年までにすべての使い捨てプラスチックを排除すると宣言。


▼2019年6月/カナダ

カナダのトルドー首相は6月10日、2021年までに使い捨てプラスティックの使用を禁止すると宣言。まだ詳細は明らかになっていないが、他にもプラスチック汚染の軽減策を講じると発表した。
下記は、このとき語ったトルドー首相の言葉。

皆さんも記事を読んだり、写真を見たりしたことがあると思いますが、正直父親として子どもたちに説明することは難しいです。あなたはどう説明しますか。世界中の海岸にクジラの死体が打ち上げられ、胃の中にビニール袋がぎっしり詰まっていることを・・・
私はどう説明したらよいのでしょう。太平洋の深層部までプラスチックが存在することを・・・


▼2019年6月/日本

6月3日、環境省がレジ袋有料化の法制を制定する考えを発表。
6月15日、経済産業省が、2020年4月1日よりレジ袋の無料配布禁止を目指すことを発表。


   ・・・・・   ・・・・・   ・・・・・

 
日本は、プラごみ対策ではまさに「周回遅れ」。
その場しのぎの対応しかしてきていないことがよくわかる。
問題の深刻さをとらえていない、今がよければよいのか、自分たちがよければよいのか。
日本国民であることが情けなくなってきた。

元気を出さねば・・・


 
 

 

 

 








  


 




 

2019年6月26日水曜日

54 どうする、“プラごみ大国”日本! ①

 

プラごみ受け入れ国からの怒りの声


 米国、カナダ、日本、オーストラリアなどから汚染プラごみを送り付けられたマレーシアやフィリピンから、怒りの声が上がった。

 プラごみの中には、おむつなどの生活ごみまで入っていたという。フィリピンやマレーシアは、汚染プラごみを国々に送り返すと言っている。当然だろう。
 送ったのは業者であって国ではないと突っぱねていたカナダは、フィリピンのドゥテルテ大統領からの強い抗議を受けて引き取りを受け入れるとともに、6月末に2021年までに使い捨てプラスティックを禁止すると発表した。

 では日本はどうする?
 
 日本は世界第2のプラごみ大国だ。(1位はもちろんアメリカ)
 国連環境計画(UNEP)の報告によれば、日本が1年間に出すプラごみは一人あたり32㎏、全体量にして約400万トンである。リサイクル率84%(残りは焼却)と言いながら、そのうちの半分は他国への輸出だった。
 2016年度の日本のプラごみ輸出量は約153万トン。そのうちの約80万トンを中国、約50万トンを香港に輸出している。香港は最終的に中国に輸出しているので、合計130万トン、つまりプラごみの85%を中国に輸出していたと言ってよい。

 中国は世界から1500万トンの廃プラスチックを輸入し、ペレットにしたのち衣類などに加工していたのだが、廃プラの中に汚染ゴミが混入していてリサイクルの過程で環境汚染が深刻化したため、2017年12月末に外国ごみの輸入を禁止した。そして、中国に代わってプラごみ受け入れ国となったのがフィリピンやマレーシアなど東南アジアの国々だった。
 その国々から抗議の声が上がったのだ。

 日本はどうする?
 プラごみ輸出大国から、そして、そもそものプラごみ大国からどう脱却するのか?


レジ袋有料化


 日本は2020年から、プラ製レジ袋の有償化の方針を出した。
 6月3日に環境省が、無償配布を法令で禁止する考えを発表し、6月15日に経済産業省が来年4月1日からレジ袋有料義務化の実施をめざすと表明した。
 
 なんと控えめな対策・・・
 
 日本で1年間に使われるレジ袋は、重さにして30万2千トンという。
 プラごみ全体量400万トンの7.5%に過ぎない。
 しかも禁止ではなく、有料化。どれほど減らすことができるのか。

 ペットボトルを町中の自動販売機で売り、
 ファストフード店やスーパーでは使い捨て容器が氾濫し、
 野菜や果物などの生鮮食品までプラスチック包装する日本だ。
 もっと根本的な対策を取る必要がある。
 少なくともその方向を出してほしかった。

 プラごみをつくらぬために、製造・流通の方法への新しい知恵が必要だと思う。
 自然に帰る包装材もこれからの研究課題になるだろう。
 そうした研究は、新しい産業の発展にきっとつながっていくはずだ。
 もっと国を挙げての積極的な対策が取られることを期待したい。

 とりあえず我が家は脱レジ袋、脱ペットボトル。マイバッグ、米ボトル持参の生活。

   ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・

 もちろん、レジ袋有料化はやらないよりはやった方がよい。
 CO2削減にもつながるのだから。

 世論調査では「レジ袋が有料になったらもらわない」という人の割合は70%であるという。
 1年間に使われるレジ袋の枚数は、最も多く使われているLサイズの袋(6.8g)に換算すると、なんと500億枚くらいになる。
 もしこの対策で、レジ袋使用が70%減になるとしたら、350億枚減らせることになる。
 CO2排出量は33g/1枚なので、35,000,000,000×33=1,155,000,000,000(g)
 つまり、1,155,000トン削減できる。

 (これは、東急世田谷線が自然エネルギー化で1年間に減らす量1263トンの915倍)

2019年5月19日日曜日

53 未来のための金曜日

 46稿で、世界の若者の「地球温暖化対策要求デモ」について書きました。
スウェーデンの高校生グレン・トゥンベリさんが始めたストライキから始まった、世界的な若者の運動です。その運動のことを「未来のための金曜日」と呼んでいることを、新聞で知りました。
 私も、毎週金曜日、それを思い出して、温暖化防止のための行動をしようと思います。

 この日は、電動自転車には乗りません。歩いていきます。
 (我が家は、自動車はもう手放してしまって、ありません。)
 テレビを見る時間を1時間(2時間でも3時間でも)減らす。見なければ最高。
 お風呂は沸かさず、シャワーにする。できるだけエネルギーを使わず過ごす。
 自分ができれば、家族も誘って行う。
 家族が仲間に入れば、お隣さんも、そして友人も誘う。
 金曜日ができれば、もう一日増やす。
 私たちの子の世代、孫の世代、そしてずっと先の未来まで、地球を安心して住める星にしておきたい。

 「隣人愛より尊いものは、未来に生まれてくる者たちのための愛、遠人愛である。」
 哲学者ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中に書いた言葉です。難しいことばかり言う人だと思っていましたが、この活動にぴったりの言葉を残してくれていました。
 地球は今、隣人愛、同朋愛であふれかえっています。それらは戦争やテロさえ起こす原因となっています。「〇〇ファースト」もその一つでしょう。
 日本は、それに同調することなく「遠人愛」を選択してほしいものです


2019年5月15日水曜日

52 沖縄は、沖縄の人々に返還されたのか

 きょう5月15日は「沖縄返還の日」である。
 今から47年前の1972年、沖縄の施政権が、アメリカ合衆国より日本国に返還されたのである。
 その際、日本とアメリカの間で交わされた協定の正式名称は、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」というのだそうである。
 
 沖縄は、日本国に返還されたのであって、沖縄自身に返されたのではないのである。
 沖縄には、いまだにアメリカ軍の基地がたくさんある。
 日本にある米軍基地面積の74%が、日本全土の0.6%の面積しかもたない沖縄におかれている。
 日本政府がそう決めているのである。
 沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、そう決めているのである。

 沖縄の人々は普天間基地の移設を求め、また辺野古新基地建設を求め、住民投票でも、国政選挙でも勝ち続けてきている。
 にもかかわらず、何も変わらない。
 政府は、沖縄の人々の心に寄り添うと言いつつ、美しい沖縄の海に土砂を投入している。
 沖縄は、日本国に返されたのであって、まだ沖縄の人々のもとへは返されていない。
 日本政府は、沖縄をいつ沖縄の人々に返すのか。
 
 

2019年5月14日火曜日

51 国書由来というけれど・・・

 4月1日、新元号「令和」が発表された。
 「れいわ」と読む。令の字は、「大化」以来248の元号で初めて使われた字だという。
 そしてもう一つ「初めて」がある。出典が万葉集、国書由来というのが初めてというのである。

 「令和」は、万葉集の第五巻に収められた「梅花三十二首」の序文からとったという。
 天平2(730)の1月に、大宰府の大伴旅人邸に山上億良らが集まって宴をひらき、歌を詠んで楽しんだ時のものである。大伴旅人というのは、万葉集選者大伴家持の父である。

 政府は、この「初めての国書由来」を強調、 安倍首相がわざわざ時間をとってTV放送で説明したほどである。多くのナショナリストたちも大いに評価しており、この新元号の決定について中国が悔しがっていると評する者も多かった。
 しかしながら私は、この国書由来をことさらに強調し、中国文化に対抗するような雰囲気を感じさせる物言いに違和感がある。


★万葉集は、中国文化の活用によってできた


 「令和」は、序文の下記の部分からとられた。

    初春月 気淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香

 序文は見ての通り漢文で、読み下し文にすると「初春の令月にして、気よく風やわらぎ、梅はきょうぜんのこをひらき、蘭ははいごの香をくゆらす」と読む。「令」は良いという意味で、初春の良い月で天気もよく、風もおだやかと、宴の日をたたえる文であるという。

 漢文は、記録手段・表現手段として日本文化に長く貢献した。平安中期の代表的な学者であり政治家でもある菅原道真は、漢詩文に秀で、学問の神とたたえられた。このころの貴族は日記を漢文で書いており、仕事の場のみでなく日常的に漢文を使用していたことがわかる。また、漢学者藤原為時の娘の紫式部が、幼いころ兄と共に漢籍を学んだということがもよく知られている。

 古代の日本は固有の文字は持っておらず、漢文を利用することと併行して、漢字の音だけを利用して日本語を表記するという方式を生み出した。
 遺跡から発見された剣や木簡に残された文字の分析から、5世紀ごろにはその方式は始まっており、7世紀ごろに確立したと考えられている。下記は、大阪の難波宮跡で発掘された木簡に記された11文字とその読み方である。

    皮留久佐乃皮斯米之刀斯 (はるくさのはじめのとし)

 この方式は、いわゆる万葉仮名と呼ばれるものである。万葉集で多く使われていることからその名がついた。万葉集では、漢文と万葉仮名とが混在している。序文は漢文で書きつつ、歌は「やまとことば」で詠み、漢字の音で表記して日本人の感性を表現した。
 そして、万葉仮名からさらにカタカナ、平仮名を生み出していき、日本語の世界を広げていった。これは、日本と中国の文化が融合した結果と言えるのではないか。


★日本文化の特性は“融合”と“創造”


 日本の衣・食・住の文化、そこに使われている技術、そして芸能、さまざまな文化には、中国・朝鮮あるいはインドや中東の文化の影響を一つも受けずに存在しているものはないと言ってよいだろう。
 その一方で今日、日本の文化、『和』の世界はその独創性を世界から認められている。
 各国の文化を取り込んで融合させる中で、さまざまな独創的なものを生み出す、それが日本文化の特性なのではないかと思う。これは、むしろ誇るべきことではないかと思う。
 そして、「この『和』の文化は、貴国の文化あってこそのものです」という姿勢こそ、近隣諸国との友好を築くものとなるのではないだろうか。
 

★平安時代、主要氏族の1/3は渡来系


 私は数十年前、大学で文化史を学んだのであるが、そこで私の考えを大きく変えた書物『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』と出会った。
 『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』とは、平安初期の815年に編纂された当時の氏族名観で、京および畿内(当時の首都圏。山城、大和、河内、泉、摂津)に住む主要氏族1182氏について、その祖先や氏の名の由来などを整理したものである。

 1182氏は、その出自により大きく「皇別」「神別」「諸蕃」の3つに分類されている。皇別は天皇家から分かれた氏族、神別は天皇家が成立する前から存在していた日本古来の氏族である。
 そして最後の諸蕃が注目すべきもので、これは渡来系の氏族であり、326氏があげられている。
 326氏というのは、1182氏の28%、およそ1/3といってもよいほど渡来系の氏族が存在していたのである。

 これらの氏族は、古くは5世紀ごろから、学者・技術者として迎えられ、また政治的亡命者として朝鮮半島から渡ってきた人々である。製鉄、土器製作、農耕技術、土木・灌漑技術、養蚕、機織り、そして漢字、芸能などさまざまな技術を持って渡来し、政権内で役人として仕えたものも少なくない。
 氏族の数が1/3だからといって、人口の1/3が渡来系の人々であったとは言えないが、首都圏に相当数居住していたことは間違いのないところだろう。そしてやがて、それらの人々が地方の開拓にも力を発揮していく。そこかしこに渡来人由来の地名があり、史跡があることからもそのことがわかる。残されたものから、日本の国づくりの原動力となり、文化の担い手になっていたことが読み取れる。

 例えば、このJADECの事務所のある新座は、かつては新羅郡といって、1300年ほど前に新羅人たちが移住した土地である郡というのは、大和政権の行政区画で、50戸を一単位とする郷がいくつか集まって構成したもので、当初は300人ぐらいで構成、平安中期には千数百人規模になっていたと考えられている。(現在の志木駅周辺、それからもう少し南部の大和田あたりだと言われている。)
 同じ埼玉には、新羅郡よりはるかに大きい規模の高麗郡も存在していた。こちらは716年に、それ以前に相模・駿河・甲斐など7か国に居住していた高句麗系渡来人1799人を移住させたという記録が残っている。現在の日高市を中心としたあたりである。
 新羅郡は平安中期に「新座(にいくら)」、現在は「にいざ」と名前を変えたが、高麗郡は明治期にもその名が存在し、高麗(こま)は今も地名として残っている。
 
 渡来人たちは持っている技術で土地を開拓し、大きく発展させた。また渡来人のみで孤立していたわけではなく、在来の氏族とも積極的に交流し、婚姻を結び同化していった。
 代表的なのは百済系渡来人である秦(はた)氏で、山城に強大な勢力圏を築いた。桓武天皇の平安遷都にはその財力と技術力が大いに貢献したとも言われている。また、桓武天皇の母となった高野新笠(たかののにいがさ)は百済の武寧王の後裔とされる和(やまと)氏出身であることが、平安初期の勅撰史書である続日本紀(しょくにほんぎ)に書いてある。
  
 勅撰史書:天皇の命令によってつくられた歴史書。


★文化史的背景をおさえて


 さまざまな事実を見ていくと、現代の日本は、渡来人の力なくしては築けなかったということを実感する。いや、日本人、渡来人と分けて考えるのも正しくないかもしれない。現代の日本人そのものが、渡来人の子孫でもあると言っても間違いではないからである。
  
 そうした時代を積み重ねた文化的背景、人々の交流の歴史をおさえて、これからの国のありよう、近隣の国々とのつき合い方を考えていくことができたら、素敵だなあと思うのである。
 
 



 
 




2019年5月12日日曜日

50 預金をりそなに移します

 核廃絶や脱原発、デモや署名活動以外にもできることを考えよう。

★日本の7金融機関、核兵器製造企業に2兆円融資


 昨年3月、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、オランダの平和団体PAXと共に行った調査の結果を発表した。世界全体では24カ国329の金融機関が5250億ドル(約55兆円)を提供、日本の7つの金融機関からも、少なくとも185億ドル(約2兆円)が核兵器製造企業に資金提供されているという。
 (ICANというのは、2017年ノーベル平和賞を受賞した、あのICANである。)


★欧州で広がる、核兵器製造企業への投資禁止運動 

2017年7月に「核兵器禁止条約」が国連で採択され、欧州を中心に核兵器製造企業への投融資を禁止する銀行や投資家がふえているという。
  核兵器製造企業に融資するということは、核の脅威を高めることを支援していることになるからである。「核兵器禁止条約」では「核兵器への援助行為」も禁止項目に含まれているのである。

 しかし、日本国内ではなかなかそうした動きが見えてこない。それどころか、国内有数の金融機関が核兵器製造企業に2兆円もの融資をしていた。世界で唯一の被爆国日本、核の恐ろしさを心の底からわかっているはずの日本、核廃絶を目指しているはずの日本であるのに・・・・・・

 ICAN構成団体のピースボートは、核兵器製造企業への資金提供が明らかになった国内の7金融機関に対して、「日本は唯一の被爆国。核兵器製造企業への融資をどう捉えているのか」など質問状を送り、今後、全国銀行協会への申し送りなども行って行くという。
 同時に、市民に対して、次のような呼びかけを行っている。
 「金融機関からの提供を止めることで、企業が核兵器製造から撤退していくことを促したい。市民の皆さんは、名前の上がった金融機関に声を上げてほしい。それでも各行が資金提供を止めないなら、そうした銀行との取引をやめよう。」
 そうか、それだ! その手があった。そしてもっと積極的な手が・・・・・・

★“りそな銀行”を応援しよう

日本の大手銀行の一つ“りそな銀行”は、昨年11月に核兵器を開発・製造・所持する企業に対して融資を行わない方針を定め、公表した。
 りそな銀行はこれまでも、そうした企業に対する融資は行ってこなかったのであるが、それを明文化したのである。

 『社会的責任投融資に向けた取り組み』と題する文書には、「核兵器・化学兵器・生物兵器等の大量破壊兵器や、対人地雷・クラスター弾等の非人道的な兵器の開発・製造に関与する先や、国内外の規制・制裁対象となる先、またそのおそれのある先への融資は行いません」と明記している。
 また、「人身売買等の人権侵害への加担」、児童労働、強制労働への関与が認められる企業や、「環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクト等」への融資も行わないとしている。

 核兵器製造を使途とする融資を禁止する例はあるが、それ以外の目的であっても該当企業には一切融資はしないと宣言したもので、こうした取り組みは国内大手銀行では初めてだという。

 私は、今、預金口座をりそな銀行に移すことを計画している。
 











2019年5月11日土曜日

49 CO2排出量、削減のカギを握るのは・・・ 

 前稿に続き、CO2排出量削減問題。

★CO2は、1750年以前と比べて46%も増加している


 過去80万年ほとんど変化しなかった大気中のCO2濃度は、産業革命の頃から増加し始め、気象庁の2019年3月のデータによれば、1750年(産業革命)以前と比べて、46%も増加しているという。そしてその増加の勢いは、年々勢いを増しているというのだ。

 人類が長く生存していくためには、大気の構成要素のバランスを崩さないということが大変重要である。しかし、森林減少によりCO2排出量に見合うO2(酸素)の供給量が減少しており、この勢いが進んでいけば、そう遠くない将来(われわれの子どもや孫の世代)に危険な状態を生み出すのは間違いない、多くの研究者たちがそう警告している。
 (最近の気象の異変は、既にそれが始まっていることを感じさせる。)
 
《参考》 大気中のCO2濃度、過去80万年で最高レベル
    https://www.businessinsider.jp/post-167043


★CO2排出大国日本

    
 われわれの子や孫の世代、その先の世代に安心安全な地球を残すには、早急にCO2の排出量を抑える行動を起こすしかない。日本にはその責務がある。何しろ日本は全体量では世界5位、一人当たりでは世界4位のCO2排出大国なのである。



★CO2総排出量の17.9%が運輸部門、その元凶は・・・


 では、どこから、どう抑えていくのか。鉄道の話に戻って考える。

 世田谷線が再生エネルギーに転換することで削減できるCO2の排出量は1260トン。
 これは、日本人が出しているCO2全体のどれくらいに当たるのだろうか。

 国土交通省発表のデータを見ていく。
 それによれば、2017年度における日本のCO2の総排出は11億9000万トン。
 (前掲の2015年排出量より4300万トンも増加している・・・)
 下図は、その部門別排出量を示したものである。
 円グラフの赤で示されたところが運輸部門で、2億1300万トン、全体の17.9%を占める。


 その内訳が、次のグラフであるが、鉄道部門は最も下の黄緑色の部分。
 CO2排出量は867万トンで、割合は4.1%となっている。

 ダントツに多いのは、個人個人が使っているところの自家用乗用車で、排出量は9850万トン。運輸部門全体のほぼ半分、46.7%を占めている。鉄道の約11.3倍にもなっている。
 乗用車による輸送は年々増加しているとはいえ、鉄道の2倍強でしかない。輸送量に対してCO2排出の割合が半端なく高いということである。
 旅客一人当たりで計算すると、鉄道は1kmいくのに19gしか排出しないのに対し、自動車はその約7.3倍の137gもCO2を排出するのである。
 
 

 データを見ると、鉄道はCO2排出にかけては優等生なのである。
 その優等生が、さらに削減の努力をしているというのが、世田谷線の話なのである。

 それに比べると、自家用車に乗っている人たちは、のん気すぎるではないか。
 自家用車を利用している人たちは、自分たちがこんなにCO2を排出しているということを知っているのか。自家用車での移動は、ドアTOドアで乗り換えもなく、荷物の持ち運びも楽である。
 しかし、それを良しとして、安易に使っていることが、自分たちの子や孫や、その次の世代の生活や命をおびやかしているということに、気づかなければならない。

 ★マイカーから公共交通へ!


 車で週1回、片道5キロのところを往復して通っていたとする。
 往復10キロで1370gのCO2を排出することになる。
 これを自転車で行くことにし、それを1年間(52週間)続けるとすると、71.2kgの削減になる。 

 まず、そんなことから始めてみてはどうかと勧めたい。
 他の交通機関がある場合は、できるだけそれを利用する。
 健康で、一人で行動できる場合は、切り替えはできるはず。
 いや、しなければならない。
 
 何ができるか、一つ一つ考え、行動する仲間を増やしていこう。
 一人からでも始めるということが大事だと、グレタさんが教えてくれたのだから・・・(46稿参照)

 


 
 







48 CO2排出量について

 47稿で、東急世田谷線が再生エネルギーに切り替えたことを取り上げ、1年で1260トンのCO2が昨削減できると書いたのであるが、この数字は、改めて考えるとものすごい数字だ。何しろ単位がトンなのである。
 CO2は気体である。気体の重さというものについて、われわれはあまり考えていないのではないか。1260トンのCO2というのは一体どれほどの量なのだろうか。

★1260トンのCO2とは?

調べてみるとCO2の比重は約1.53。
 気体は空気を1として測るので、空気の約1.53倍の重さということだ。
 私たちは、空気の重さを意識しないで生活しているが、1立方メートル(㎥)は約1.29kgある。
 CO2は空気の1.53倍であるから、1.29×1.53≒1.97で、約2㎏ということになる。

 1トンというのは1000㎏であるから、2㎏の約500倍。体積にすると、500㎥ということだ。
 1260トンは、その1260倍であるから、500×1260で、体積64800㎥ということになる。
 この体積のイメージを図にあらわしてみると・・・


  1260トンのCO2の量を角柱にすると、36m四方、高さ500mになるということだ。
  36m四方というのは、畳なら800畳敷きの広さである。
  500mは333mの東京タワーより、167m高い。
  世田谷線はそれだけのCO2を削減する。。
  逆に、再生エネルギーでなければ、1年間でこれだけの量のCO2を排出するということである。

★日本全体の鉄道では、どのぐらいのCO2を排出しているのか

全線わずか20km、1日187本(1時間平均9本)、最高速度40km時、平均速度16.7km時ののんびりした2両の路面電車である世田谷線が、1年間に1260トンのCO2を排出するというのなら、日本全土の鉄道では、いったいどれほどになるのだろう。

 そこで、日本の鉄道路線の総延長距離を調べてみたが、JRのみで27,182kmというデータしか見つからなかった。これは世田谷線の約1360倍であるが、実際には他の私鉄や地下鉄もあり、こんなものではないだろう。またJRに限ってみても、平均時速200キロの新幹線もあるし、100キロ以下のローカル線もある。それぞれの線がどれほどのエネルギーを使いCO2を排出しているのかを調べるのは大変なことだ。
 そこで、ここからは、国土交通省や環境省の出しているデータを基に、別方向から考えることにした。

(以下次稿)


  

2019年5月6日月曜日

47 世田谷線に乗って行きます

★バス並みのスピード


 私は、世田谷に住む娘の家に行くときは、渋谷から三軒茶屋に出て、そこから東急世田谷線に乗って行く。彼女の家は、渋谷からバス1本で行くことができ、バス停からは目と鼻の先なのであるが、私はあえて、世田谷線に乗ることにしている。

 三軒茶屋から下高井戸までの10駅、全行程わずか5㎞しかない。始発駅から終点まで乗っても20分ほどである。世田谷線は、昔、渋谷―二子玉川園間を走っていた玉川電気鉄道(通称“たまでん”)の支線としてできた下高井戸線であり、“たまでん”が東急電鉄に吸収され、渋谷―二子玉川園間が廃止された後、世田谷線と名を変えて残ったものである。

 世田谷線ルート


 世田谷線は、電車といっても、2両編成の路面電車。駅と駅の間は平均500m程度なので、発車してスピードを出す間もなく、次の駅に着く。そのスピードはむしろバスに近く、実にのんびりした電車である。


★100%再生可能エネルギーで


 私が、こののんびりした世田谷線を選択する理由は、この線が今年3月25日から、100%再生可能エネルギーで終日電車を走らせることになったからである。それまでは、その日の気分でバスにしたり世田谷線にしたりであったが、このニュースを新聞で目にしてからは、世田谷線一本にすると決めた。

 世田谷線の2018年度電力使用量は215万6000キロワット時(見込み)。2018年度実績で換算した場合、CO2排出削減量は、年間約1263トンになるという。
 ごく小さな路線ではあるが、路線全体の100パーセント再生エネエルギー化は、日本発である。他の鉄道に先駆けての東急電鉄のこの取り組みを大きく評価したいと思う。他の接道会社も追随することを期待したい。
 世田谷線の100パーセント再生エネエルギー化計画は、東北電力が提供する電力プランを活用したものであるという。東急電鉄と合わせて、東北電力にもエールを送りたいと思う。

 とはいえ、資力のない私には、株を買うなどということもなかなかできない。
 なので、せめて乗客になろうと決めたのである。
 乗客となって、世田谷線の採算に少しでも貢献したいと思うのだ。


★青、緑、黄、ピンク、色とりどり


 のんびりと走るとは言いながら、普通の都電市電とは違い、世田谷線は軌道は独立して確保されており、渋滞に巻き込まれることはない。所要時間は極めて確実で、イライラすることはない。
 始発駅以外は無人駅、運賃は乗車時に車両の前方と後方に設置してあるチェッカーで払い、降車は車両の中ほどにある出口からというシステムになっており、駅構内や車内でそのことがアナウンスされる。したがって、自然と乗客の流れができ、乗客が出入り付近に集中し混雑するというようなことがなく、中々工夫されている。


 
 走っている10編成の車両は、すべて異なる色だというのも面白い。私は、これまで青、緑、黄、ピンクの車両に乗った。他にはどんな色があるのだろうか、今日は何色に乗れるかな、などと思いつつ待つのも楽しい。。
 また、沿線には、松陰神社、豪徳寺、代官屋敷、ボロ市など見所もあるようで、機会を見つけて行ってみたいと思っている。
 
 

★デモや署名運動以外にできること


 核廃絶や脱原発、デモや署名活動以外に何かできないものか。
 ずっと考えてきた。
 少し、その方向が見えてきた。

 



 

2019年5月4日土曜日

46 世界の若者の温暖化対策要求デモ

 3月15日、世界の各地で、高校生を中心とした温暖化対策要求デモが行われた。
 地球温暖化対策に消極的な政府や大人に抗議の声を上げようという目的で呼びかけられたもので、120か国、2000か所以上で行われたという。

 



★一人の行動が大きなうねりに


 デモは、スウェーデンの高校生グレタ・トゥンベリさんの活動に触発されてのもの。
 グレタさんは昨年夏、スウェーデン国内で起きた熱波と山林火災を問題視し、政府にパリ協定を順守し二酸化炭素を削減するようよう求めて、国会議事堂前で座り込み総選挙まで学校に行かないという学校ストライキを行った。
 「気象危機は、危機として扱わなくてはならない。気候問題は選挙の最大の争点である」と主張し、総選挙後も週1回座り込みを継続したという。
 
 そうしたグレタさんの行動が世界で注目され、グレタさんも、世界中の学生に学校ストライキを呼びかけるようになったというのだ。

 気候変動のような大きな問題は、一個人の行動ではどうしようもないとか、明日からどうこうというような問題じゃないよね、と自分に言い聞かせて、ともすれば目を背けてしまいがちだ。
 けれども、あきらめない若者がいる。一人でも行動を起こす。
  そしてそれが少しずつ人の心に伝わり、やがて大きな運動になっていく。
  それが現実として、目の前にある。

 3月15日は、前項で紹介したように、ニュージーランドのクライストチャーチで2つのモスクを襲ったテロ事件が発生し、世間の注目はそちらに集まってしまった。しかし、このデモは、テロ事件に劣らず、あるいはそれ以上に注目しなければならない出来事であったと思う。


★温暖化の責任は、私たち大人にある


 温暖化の被害を受けるのは、私たち大人ではなく、若者たちだ。
 私たち大人が、考えなしに、暖房に、交通に、エネルギーを使ってきたからだ。
 そのつけを、若者たちに払わせるのは、理不尽だ。
 私たち大人こそ、その責任を負わなくてはならない。
 
 日本でも、東京と京都で3月15日の行動に呼応したデモがあったという。
 大きな規模ではなかったようだが、こうした若者たちを励まし、応援したい。
 そして、そう考える仲間を増やしたい。




 

45 ニュージーランド銃規制

 3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチで、イスラム教徒に対するテロが発生した。
 一人の男が2つのモスクを襲い、散弾銃と半自動銃を乱射、50人もの人がなくなり、数十人が負傷したのだ。

 ニュージーランドは英連邦に所属し白人が多く住む国であるが、元来はポリネシアの一派であるマオリ族の国である。
 18世紀以降英国系入植者と先住民の間での争いの時代を経て、現在では、少数派に寛容な社会として評価されている。昨年は、女性首相が産休を取り出産、復帰後は夫(注)が育児ということで話題にもなり、平和で進歩的な国という印象であった。
 その国でのテロが起きた。

 新聞によれば、ニュージーランドでは、最近急速にイスラム系移民が増え、それに反発して「白人社会の再生」を掲げる極右団体が生まれてきていたという。
 日本が見習うべき国の一つと思っていたニュージーランドで起きたテロに、私は暗澹とする思いだった。

 ところが、ニュージーランド政府と国民は、その翌日からの行動で、私の不安を吹き飛ばしてくれた。


★ニュージーランド国民の反応に敬意


 狩猟が盛んであり、また農業国でもあるこの国では、多くの農場で害獣駆除のために半自動銃が使われてきた。
 銃の保有には免許が必要だが、16歳以上で講習を受ければ比較的容易に免許を取得できるという。購入した銃の登録制度はないので、複数の銃を持つ国民も多かったと考えられている。
 これまで、銃による犯罪はまれだったという。(2006~2015の10年間を見ると、10件以上だったのは2年のみ。)そのため、これまで銃規制はなかなか進まなかった。

 しかし、今回の大量虐殺を知った国民の間では、ただちに銃規制強化を求める声が高まった。
 事件翌日以降、警察には、「自分の半自動銃を廃棄してほしい」という依頼が殺到しているという。また、銃を所有する多くの人々が、「持っている武器を当局に引き渡そう」とネットで呼びかけている。

〇(半自動銃は)農場では便利なツールだ。しかし、自分にとっての便利さよりも、誤った使い方をされるリスクの方が重要だ。
〇私たちの国ではこんなものは必要ない。こんなことは絶対に起きてはならない。
〇こうしたものが誤った人の手に渡れば凶器になりうることが分かった以上。それと引き換えに味わう不便さなどささいなことだ。
〇31年間にわたって銃を所有してきたが、金曜午後に事件のことを知ってから、これからはちゃんと考えなければと思った。月曜に出した答えが返納だ。これまでで最も簡単な決断の一つだった。


★ニュージーランド政府、議会の素早く毅然とした対応に敬意


 一方、政府と議会の動きも果断だった。
 アーダーン首相は、乱射事件の翌日、「恐ろしいテロ行為」「こんなふるまいと考え方を拒絶しなければならない」と犯行を強く非難し、10日以内に銃規制の改革を発表すると宣言した。
 (写真は、16日に記者会見するアーダーン首相)



 6日後の3月21日、首相はその言葉通り、軍仕様の半自動銃や、銃器を半自動銃に改造するための部品などを禁じる銃規制強化の方針を打ち出し、新たな銃規制法を4月11日までに施行し、禁止対象の銃器を買い取る仕組みを整備すると発表した。

 そして4月初旬に法案を議会に提出。それを受けて議会は、4月10日、半自動小銃などの所持を禁止する改正銃規制法案を賛成多数で可決した。
 銃器買取のコストは、最大2億NZドル(日本円で約150億円)になるという。

 なんという国だろう。
 ニュージーランドの国民、政府、そして議会の素早い決断と行動力は本当に尊敬に値する。
 何より、暴力否定の方向が一致しているところが素晴らしい。

 多くの人が、もう一つの、銃規制が必要でありながら、規制しない(あるいはできない)彼の国と比較したことだろう。
 
 
《注》 アーダーン首相の夫は、テレビ・アナウンサー。出産当時は、正確にはパートナー。
    結婚したのは昨日、5月3日。

 
 


2019年3月28日木曜日

44 石巻の徳水先生が会社をつくりました

 3月6日、石巻市の元教師、徳水博志さんからメールが来ました。
 3月8日の4:00から、ラジオ深夜便(NHK)で語るので、聞いてほしいというものでした。

 徳水さんは、東日本大震災で被災した石巻市雄勝(おがつ)小学校の教師だった方です。
 雄勝小学校は17~18mの津波に襲われ、校舎や体育館が流され、下校中だった児童一人がなくなりました。助かった子どもたちも、ほとんどが家を失い、徳水さん自身も自宅を失い、奥さんのお母さんがなくなりました。

 40日後、隣町の中学校の空き教室で学校は再開しましたが、児童数は卒業やら天候やらで108名から41名に激減。その上、震災の後遺症で食欲不振、活動力意欲の低下、情緒不鑑定だったといいます。文部省の指導を受けて教育委員会からは、震災前の教育課程の実施の指示が出されたそうですが、徳水さんは、この子どもたちに対する教育はそんなことでよいのかと、疑問を抱いたといいます。

 震災で多くのものを失い、暮らしの環境が激変し、さまざまな課題が山積みになった生活、そうした娯共たちに必要な学びはなんだろうかと模索。その結果、「地域の人とつながり、地域の復興活動に参加する」という答えを導き出し、活動を展開したのです。

 その内容の概略は、JADECニュース94号(2015/12/15)でご紹介しました。

  ◆石巻の小学生の“震災復興のまちづくりプラン”
    http://jadec.or.jp/main/wp-content/uploads/2015/01/jnews94-20141215.pdf

 ラジオ深夜便では、その過程を徳水さんが語られました。内容は、以前徳水さん自身が書かれた報告書を読んで知っていたことでしたが、本人の言葉で語られると、淡々とした口調でありながら、当時の状況が生々しく伝わってきました。
 そして私は、そのあとに徳水さんが語られたこと、それは徳水さんのその後の活動についてでしたが、これに驚き、心を打たれました。

 徳水さんは、震災から3年後に定年で退職された後、雄勝に地域復興を目的とした会社を立ち上げたのです。子どもたちが成人したのちに、戻ってきて地域復興活動に参加するための受け皿をつくるためです。自社利益を追求するより、地域の課題を解決するための会社。そんな夢物語のような会社などあるはずはない、ならば自分たちで作ってしまえ、というわけで奥さんと二人で会社を立ち上げたというのです。
 
 それが非営利型の一般社団法人「雄勝花物語」、活動拠点は奥さんの実家の跡地に作られた「雄勝ローズファクトリーガーデン」です。

 「雄勝花物語」の事業は、3つの部門に分けて展開されています。

    支援部門:被災地緑化支援、被災地支援コンサート、ローズガーデン開放
    教育部門:防災教育、震災学習、ESD(持続可能な開発のための教育)、ボランティア受け入れ
    事業部門:ハーブ&エディブルフラワー(食べられる花)販売、押し花体験教室
           (さらに、ジャム加工場とコミュニティカフェの建設計画中)

          雄勝花物語Facebook http://www.facebook.com/ogatsuflowerstory/
      雄勝ローズファクトリーガーデン http://ogatsu-flowerstory.com/


 ラジオ深夜便を聞いた前日にみたTV番組では、陸前高田市で大規模な土地の嵩上げ工事が終了し、土地が所有者に引き渡されたけれども、そこへ帰る計画をしている人は1/3もいないということが報告されていました。仕事もなく生活に必要な店もない、住民が暮らしていく手立てをどう作っていくか、行政にはその視点がないと指摘されていました。

 徳水さんは、まさにそのことを問題にされ、会社をつくった。行政に文句を言うのではなく、それを自分でやってしまう。その姿勢と行動力は、きっとそこで働く若者たちに受け継がれていくと感じました。
 それこそが、本当の教育だと思い、胸が熱くなりました。


★徳水さんの著書

 『震災と向き合う子どもたち』新日本出版社 

 地域復興の主体を育てる復興教育、被災児の心のケア、徳水さん自身の再生物語のほかに、復興プロジェクト雄勝花物語の歩み、防波堤の問題、持続可能なまちづくりの課題など、創造的復興の問題点とそれに対峙する人間の復興論について書かれています。(Amazonで購入できます。1800円(税別)

 





 







  

2019年3月25日月曜日

43 サクラの開花宣言

 3月21日、気象庁は東京と福岡で、ソメイヨシノが開花したということを発表した。いわゆるサクラの開花宣言である。
 日本では、サクラの咲く時期になると、各地の気象台がその地域のサクラの開花状況を観察して、開花宣言というものを行う。標本木としている桜の木(ソメイヨシノ)の花が5~6輪咲いているのが確認できると、「開花した!」と発表するのである。今年は、長崎が3月20日で一番早かった。

 毎年TVで、標本木となっているサクラの開花宣言のための観察風景が報道される。東京における標本木は靖国神社にあり、今年は2度3度と観測している様子が報道された。まわりを何十人もの報道関係者が取り囲んで、気象庁の職員の口から開花したという発表が出るのを待っている。
 
 長崎で開花が確認された20日、東京では確認とはならなかった。眼の良い若い女性記者が、そこにもあそこにも咲いているというのだが、初老の職員には大きな木の上の方はなかなか確認できず、双眼鏡を持って来たりして見たのだが、その日はついに開花確認とはならなかった。
 その様子を見ていて、なんだかおかしくなってしまった。実際に咲いていても、気象庁の役人が開花したと宣言しなければ、桜は開花したことにならないのである。

 気象庁が、サクラの開花日を記録するのは、気象の変化をとらえるために必要なことだと思う。標本木を決め、開花と判断するための花の数をを決めておくというのも道理である。しかし、それをメディアがこんなに何日も大騒ぎして取り上げるというのはどういうことなのだろう。
 それより、どこの公園は一部咲き、何々通りの桜並木はもう三分咲きだというような情報の方が意味があるのではないか、と思うのだがどうなのだろう。

 そういえば、同じ気象庁関連で、似たようなものに「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」がある。その前後の梅雨前線の発達状況や停滞状況等から、「梅雨入りしたとみられる」「梅雨が明けたとみられる」と発表するあれである。梅雨入り宣言をしたにもかかわらず雨が降らなかったりすると、そのときは「空梅雨(からつゆ)」と言い、梅雨明け宣言をした後でまた雨が続いたりすると「戻り梅雨」と言ったりする。
 気象庁にとっては「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」は意味のあるものではなく、一般の人からのぜひやってくれと言う声があまりにも多いので、仕方なくやっているものだという。実際の梅雨入り、梅雨明けの判断は、その後の状況もずっと観測して、数カ月後に判断するそうだ。
 日本人は、権威あるところに判断を託すのが好きなのだろうか。

 開花宣言や梅雨入り宣言があったから、ああそんな季節になったかと思うのではなく、日常の街歩きの中で、木々や草花の変化、あるいは雲の形や空の色から、自分の力で季節の変化を感じたいものだ。また、それと同時に、一年一年の変化に敏感でありたいと思う。それが、私たちの子や孫、そしてずっと後の人々にこの自然を残していく力の基になると思うからである。

2019年3月23日土曜日

42 沖縄の現実は、私たちの現実

 先月24日、沖縄県で辺野古基地建設に関して住民投票が行われて1カ月になる。
 沖縄の有権者数は約115万人。投票率52.5%で、そのうちの72.2%の約43万人が反対票を投じた。
 投票率52.5%の72.2%、つまり全有権者の37.5%が建設反対の意を示したということになる。
 これは、沖縄県の人々の、辺野古基地建設反対の意思を強く感じさせる数字だ。

 有権者の37.5%、これを有権者数1100万人の東京都に置き換えて考えてみよう。
 東京都の有権者数はこの3月で1132万人、沖縄県のほぼ10倍だ。
 その37.5%は、約425万人になる。
 国が進めようとする施策に、東京都民425万人が反対したという状況だと考えられる。
 
 2016年の都知事選で圧勝した小池百合子氏の得票数は291万票であった。
 このとき、小池氏を知事とすることは、都民の強い意志として受け止められたのである。
 425万人というのは、その1.46倍にあたる。
 もし、国が都に対して進めようという施策に対し、425万の都民が反対したとしたら、国はそれを強引に推し進めるだろうか。

 沖縄では、それが行われているのである。
 37.5%の県民の反対表明を、政府は意にも留めず、粛々と建設を進めるという意向を示している。
 辺野古の海の底がマヨネーズ状で、地盤改良に数年かかかるということが明らかになっていながら、計画を変えるつもりはないと公言している。

 この辺野古基地問題は、なぜかメディアがあまり取り上げないせい。
 (悪質動画投稿問題などに比較すると、信じられないほど報道が少ない。)
 そのためか、沖縄県以外では、あまり大きな問題とは認識されていない。
 しかしこれは、われわれ国民にとって大変大きな問題ではないだろうか。

 国と国民の関係、それはどうあるべきものなのか。
 それは沖縄に限らず、各都道府県の住民が考えておくべき問題だ。
 国益≠都道府県益(その地域の住民が望んでいるもの)であるとき、それは、国が一方的に、
 地域住民の望むところを無視して、国の考えるところを推し進めてもよいものだろうか。
 各都道府県民は、国がこうと決めたら、それに絶対従わなくてはならないのか。
 沖縄の状況はそうなっているのである。
 
 そしてそれは、他の都道府県民は、それはその地域の問題だからと、ほおっておいてよいのだろうか。
 沖縄の問題だからと、知らぬふりをしていてよいのだろうか。
 自分のところの話ではないから、自分たちに類が及ぶわけでないからと、知らないふりをしていてよいのか。

 外交努力をせずに、ただただ軍備を拡大していく現政府。
 アメリカの求めるままに基地をつくり、武器を買う。
 その行く手には、いくらでも類似の問題が起きてくる。
 新型ミサイル迎撃システム「イージスアショア」の配備計画、軍事研究家からは、維持体制に莫大な費用がかかるという指摘や、固定した設備であるので有効性が低いという指摘もあるものだ。予定地となっている山口県阿武町や秋田市で攻撃対象になるからとして反対運動が起きている中、政府は予定地の測量など計画を粛々と進めている。

 沖縄の現実は、私たちの現実でもある。
 沖縄の問題は、私たちの問題としなければならない。
 
 

 


 
 

 

2019年1月28日月曜日

41 Nobody is Right

 2015年の夏ごろ、あるCMが話題になった。草原に立った大勢の女性たちが、みな同じ方向を向いて歌をただ歌うというもので、しばらくは何のCMだか分らなかった。
 ただ、その歌詞が妙に心に残った。
  「争う人は、正しさを説く。 正しさゆえの争いを説く・・・」
  ちょうど、集団自衛権を問題にした安保法案が国会で審議されており、首相の答弁がさまざま取沙汰されていたときだったので、それへの批判じゃないかという声も多々見られた。私自身もまさにそう感じていた。

 誰の歌なのだろうかと思って調べたら、中島みゆきさんの「Nobody is Right」という歌であることを知った。下記がその歌詞である。

 もしも私がすべて正しくて とても正しくて 周りを見れば
 世にある限り全てのものは 私以外は間違いばかり
 もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
 世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり
  (中略)
 正しさと正しさとが相容れないのは いったい何故なんだ?
 Nobody is right.Nobody is Right. 正しさは
 Nobody is right.Nobody is Right. 道具じゃない

 悪い人などいないだなんて あいにくですがうなずけません
 正しい人こそいないんじゃないか 完ぺき正しいってどういう人だ
 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
 その正しさは気分がいいか
 正しさの勝利が気分がいいんじゃないのか

 あとで、このCMは或るアパレルブランドのものだと分かった。「明日をどう生きていくか」という問いかけであり、人類にとっての最重要テーマである反戦と平和を訴えたものだった。

 慰安婦問題に始まって、徴用工問題、レーダー照射事件などをめぐり、日韓の挑発合戦ともいうべき事態になっている今、私の頭の中では、この歌詞が繰り返し流れている。
 お互いに正しさを主張して譲らない、日韓双方の政府と軍隊(自衛隊も実質軍隊)。
 それぞれの後ろに国民、そして支持者が控えている。
 もしも譲ったら面子が失われる、国益が失われる・・・

 しかし、2つの国にとっては、もっと重要なことがあるはずだ。
 それは、日韓を含むこの東アジアの平和を築いていくということだ。
 そのためには、日韓の友好的な関係は不可欠だ。
 共に歩むという姿勢こそが重要だ。
 日韓両政府は、お互いに冷静になって、振り上げた刀を下ろしてほしい。
 それができたとき、2つの国それぞれが本当の勝利を得たといえるのではないか。


★追記
 (中略)としたところの歌詞はつぎのとおり。

   つらいだろうね その一日は。 嫌いな人しか 出会えない。
   寒いだろうね その一生は。 軽蔑だけしか いだけない。

 このままいくと、日韓両政府は、日本と韓国の人々を、こうした関係に追い込んでしまいそうな気がする。世論調査の結果などを見ると、既にそうなりつつあることを感じる。
 早く冷静になって、大人の外交をしてほしい。
 日本と韓国の人々が、お互いを尊敬しあって付き合って行かれるようにすることこそが、国を預かるものとしての使命ではないのか。



 

  

2019年1月11日金曜日

40 嘘つきは戦争の始まり

職場の新年会から帰った9日の夜、先輩からメールをもらいました。
友人から送られたメールを拡散してくれたのです。
多分、家に帰ってメールを開き、すぐさま送ってくれたのでしょう。
「痛快な記事」とのコメントが付き、次の写真が添付されていました。


どこの新聞だろうと思ってネットで調べてみたら、朝日新聞1月7日の朝刊、宝島社の全面広告でした。我が家も朝日新聞をとっています。急いで探すと、ありました、ありました。
全面広告です。(気がつかなかったなんて!)
送ってくれた写真は、その一部分でした。

読売と日刊現代には別バージョン「敵は、嘘」が載ったそうです。
ネットでも話題になっています。広告の全体が見ることができます。
宝島の政策意図も紹介されています。

https://netatopi.jp/article/1161103.html


制作は電通。たった220字でこれだけのことを言う。すごいです。
このブログの37稿「今年の漢字」で、私もこの国に蔓延する「嘘」について書いただけに心を打たれました。
この広告が多くの人々の心を動かし、この国をまともにする力を生み出すことを強く願っています。

2019年1月8日火曜日

39 謹賀新年

 予想されていた寒波も、一部の地域を除いてはそうたいしたことはなく、2019年の正月はまずまず穏やかに迎えることができたようです。
 皆さま、いかがお過ごしになりましたか?

 昨年は、今年の漢字に「災」が選ばれたように、集中豪雨、台風、地震と本当に災害の多い年でした。
 「50年に一度」とか「経験したことのない」といった言葉が飛び交いました。
 しかし、もうその言葉は通用しない。
 今年が昨年以上の災害に見舞われないとは言えない、地球の状況があるからです。
 今年1月1日には、早くも台風1号が発生したそうです。

 天災は避けることができません。
 けれども、被害は避けること小さく抑えることができるはずです。
 8年前、「想定外だった」として、大きな被害を生み出した事故がありました。
 そう、福島第一原発の事故です。
 
 実はこの事故は想定されていたのです。
 科学的な根拠をもって災害を予測していた人たちがいました。
 そして被害をおさえるべく対策を進言していた人たちがいました。
 それらは、「まさか自分たちのところには起こらないだろう」「そんなにすぐには来ないだろう」という、根拠のない楽観主義によって採用されなかったのです。
 避けることができた災害だったと言ってよいでしょう。
 決して忘れてはならないことです。

 「自分のところには起きないだろう」ではなく、
 「自分のところ」はどういう条件にあるのか」、そして、「自分のところではどういう災害が起こりうるか」、と考える必要があるのではないでしょうか。

 科学的な視点に基づいた想定力をどうみがくか、どう育てるか。
 そして、想定されたことに対応する力を、どう育てるかが、、災害列島に住む我々の課題だと言えそうです。