2019年3月28日木曜日

44 石巻の徳水先生が会社をつくりました

 3月6日、石巻市の元教師、徳水博志さんからメールが来ました。
 3月8日の4:00から、ラジオ深夜便(NHK)で語るので、聞いてほしいというものでした。

 徳水さんは、東日本大震災で被災した石巻市雄勝(おがつ)小学校の教師だった方です。
 雄勝小学校は17~18mの津波に襲われ、校舎や体育館が流され、下校中だった児童一人がなくなりました。助かった子どもたちも、ほとんどが家を失い、徳水さん自身も自宅を失い、奥さんのお母さんがなくなりました。

 40日後、隣町の中学校の空き教室で学校は再開しましたが、児童数は卒業やら天候やらで108名から41名に激減。その上、震災の後遺症で食欲不振、活動力意欲の低下、情緒不鑑定だったといいます。文部省の指導を受けて教育委員会からは、震災前の教育課程の実施の指示が出されたそうですが、徳水さんは、この子どもたちに対する教育はそんなことでよいのかと、疑問を抱いたといいます。

 震災で多くのものを失い、暮らしの環境が激変し、さまざまな課題が山積みになった生活、そうした娯共たちに必要な学びはなんだろうかと模索。その結果、「地域の人とつながり、地域の復興活動に参加する」という答えを導き出し、活動を展開したのです。

 その内容の概略は、JADECニュース94号(2015/12/15)でご紹介しました。

  ◆石巻の小学生の“震災復興のまちづくりプラン”
    http://jadec.or.jp/main/wp-content/uploads/2015/01/jnews94-20141215.pdf

 ラジオ深夜便では、その過程を徳水さんが語られました。内容は、以前徳水さん自身が書かれた報告書を読んで知っていたことでしたが、本人の言葉で語られると、淡々とした口調でありながら、当時の状況が生々しく伝わってきました。
 そして私は、そのあとに徳水さんが語られたこと、それは徳水さんのその後の活動についてでしたが、これに驚き、心を打たれました。

 徳水さんは、震災から3年後に定年で退職された後、雄勝に地域復興を目的とした会社を立ち上げたのです。子どもたちが成人したのちに、戻ってきて地域復興活動に参加するための受け皿をつくるためです。自社利益を追求するより、地域の課題を解決するための会社。そんな夢物語のような会社などあるはずはない、ならば自分たちで作ってしまえ、というわけで奥さんと二人で会社を立ち上げたというのです。
 
 それが非営利型の一般社団法人「雄勝花物語」、活動拠点は奥さんの実家の跡地に作られた「雄勝ローズファクトリーガーデン」です。

 「雄勝花物語」の事業は、3つの部門に分けて展開されています。

    支援部門:被災地緑化支援、被災地支援コンサート、ローズガーデン開放
    教育部門:防災教育、震災学習、ESD(持続可能な開発のための教育)、ボランティア受け入れ
    事業部門:ハーブ&エディブルフラワー(食べられる花)販売、押し花体験教室
           (さらに、ジャム加工場とコミュニティカフェの建設計画中)

          雄勝花物語Facebook http://www.facebook.com/ogatsuflowerstory/
      雄勝ローズファクトリーガーデン http://ogatsu-flowerstory.com/


 ラジオ深夜便を聞いた前日にみたTV番組では、陸前高田市で大規模な土地の嵩上げ工事が終了し、土地が所有者に引き渡されたけれども、そこへ帰る計画をしている人は1/3もいないということが報告されていました。仕事もなく生活に必要な店もない、住民が暮らしていく手立てをどう作っていくか、行政にはその視点がないと指摘されていました。

 徳水さんは、まさにそのことを問題にされ、会社をつくった。行政に文句を言うのではなく、それを自分でやってしまう。その姿勢と行動力は、きっとそこで働く若者たちに受け継がれていくと感じました。
 それこそが、本当の教育だと思い、胸が熱くなりました。


★徳水さんの著書

 『震災と向き合う子どもたち』新日本出版社 

 地域復興の主体を育てる復興教育、被災児の心のケア、徳水さん自身の再生物語のほかに、復興プロジェクト雄勝花物語の歩み、防波堤の問題、持続可能なまちづくりの課題など、創造的復興の問題点とそれに対峙する人間の復興論について書かれています。(Amazonで購入できます。1800円(税別)

 





 







  

2019年3月25日月曜日

43 サクラの開花宣言

 3月21日、気象庁は東京と福岡で、ソメイヨシノが開花したということを発表した。いわゆるサクラの開花宣言である。
 日本では、サクラの咲く時期になると、各地の気象台がその地域のサクラの開花状況を観察して、開花宣言というものを行う。標本木としている桜の木(ソメイヨシノ)の花が5~6輪咲いているのが確認できると、「開花した!」と発表するのである。今年は、長崎が3月20日で一番早かった。

 毎年TVで、標本木となっているサクラの開花宣言のための観察風景が報道される。東京における標本木は靖国神社にあり、今年は2度3度と観測している様子が報道された。まわりを何十人もの報道関係者が取り囲んで、気象庁の職員の口から開花したという発表が出るのを待っている。
 
 長崎で開花が確認された20日、東京では確認とはならなかった。眼の良い若い女性記者が、そこにもあそこにも咲いているというのだが、初老の職員には大きな木の上の方はなかなか確認できず、双眼鏡を持って来たりして見たのだが、その日はついに開花確認とはならなかった。
 その様子を見ていて、なんだかおかしくなってしまった。実際に咲いていても、気象庁の役人が開花したと宣言しなければ、桜は開花したことにならないのである。

 気象庁が、サクラの開花日を記録するのは、気象の変化をとらえるために必要なことだと思う。標本木を決め、開花と判断するための花の数をを決めておくというのも道理である。しかし、それをメディアがこんなに何日も大騒ぎして取り上げるというのはどういうことなのだろう。
 それより、どこの公園は一部咲き、何々通りの桜並木はもう三分咲きだというような情報の方が意味があるのではないか、と思うのだがどうなのだろう。

 そういえば、同じ気象庁関連で、似たようなものに「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」がある。その前後の梅雨前線の発達状況や停滞状況等から、「梅雨入りしたとみられる」「梅雨が明けたとみられる」と発表するあれである。梅雨入り宣言をしたにもかかわらず雨が降らなかったりすると、そのときは「空梅雨(からつゆ)」と言い、梅雨明け宣言をした後でまた雨が続いたりすると「戻り梅雨」と言ったりする。
 気象庁にとっては「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」は意味のあるものではなく、一般の人からのぜひやってくれと言う声があまりにも多いので、仕方なくやっているものだという。実際の梅雨入り、梅雨明けの判断は、その後の状況もずっと観測して、数カ月後に判断するそうだ。
 日本人は、権威あるところに判断を託すのが好きなのだろうか。

 開花宣言や梅雨入り宣言があったから、ああそんな季節になったかと思うのではなく、日常の街歩きの中で、木々や草花の変化、あるいは雲の形や空の色から、自分の力で季節の変化を感じたいものだ。また、それと同時に、一年一年の変化に敏感でありたいと思う。それが、私たちの子や孫、そしてずっと後の人々にこの自然を残していく力の基になると思うからである。

2019年3月23日土曜日

42 沖縄の現実は、私たちの現実

 先月24日、沖縄県で辺野古基地建設に関して住民投票が行われて1カ月になる。
 沖縄の有権者数は約115万人。投票率52.5%で、そのうちの72.2%の約43万人が反対票を投じた。
 投票率52.5%の72.2%、つまり全有権者の37.5%が建設反対の意を示したということになる。
 これは、沖縄県の人々の、辺野古基地建設反対の意思を強く感じさせる数字だ。

 有権者の37.5%、これを有権者数1100万人の東京都に置き換えて考えてみよう。
 東京都の有権者数はこの3月で1132万人、沖縄県のほぼ10倍だ。
 その37.5%は、約425万人になる。
 国が進めようとする施策に、東京都民425万人が反対したという状況だと考えられる。
 
 2016年の都知事選で圧勝した小池百合子氏の得票数は291万票であった。
 このとき、小池氏を知事とすることは、都民の強い意志として受け止められたのである。
 425万人というのは、その1.46倍にあたる。
 もし、国が都に対して進めようという施策に対し、425万の都民が反対したとしたら、国はそれを強引に推し進めるだろうか。

 沖縄では、それが行われているのである。
 37.5%の県民の反対表明を、政府は意にも留めず、粛々と建設を進めるという意向を示している。
 辺野古の海の底がマヨネーズ状で、地盤改良に数年かかかるということが明らかになっていながら、計画を変えるつもりはないと公言している。

 この辺野古基地問題は、なぜかメディアがあまり取り上げないせい。
 (悪質動画投稿問題などに比較すると、信じられないほど報道が少ない。)
 そのためか、沖縄県以外では、あまり大きな問題とは認識されていない。
 しかしこれは、われわれ国民にとって大変大きな問題ではないだろうか。

 国と国民の関係、それはどうあるべきものなのか。
 それは沖縄に限らず、各都道府県の住民が考えておくべき問題だ。
 国益≠都道府県益(その地域の住民が望んでいるもの)であるとき、それは、国が一方的に、
 地域住民の望むところを無視して、国の考えるところを推し進めてもよいものだろうか。
 各都道府県民は、国がこうと決めたら、それに絶対従わなくてはならないのか。
 沖縄の状況はそうなっているのである。
 
 そしてそれは、他の都道府県民は、それはその地域の問題だからと、ほおっておいてよいのだろうか。
 沖縄の問題だからと、知らぬふりをしていてよいのだろうか。
 自分のところの話ではないから、自分たちに類が及ぶわけでないからと、知らないふりをしていてよいのか。

 外交努力をせずに、ただただ軍備を拡大していく現政府。
 アメリカの求めるままに基地をつくり、武器を買う。
 その行く手には、いくらでも類似の問題が起きてくる。
 新型ミサイル迎撃システム「イージスアショア」の配備計画、軍事研究家からは、維持体制に莫大な費用がかかるという指摘や、固定した設備であるので有効性が低いという指摘もあるものだ。予定地となっている山口県阿武町や秋田市で攻撃対象になるからとして反対運動が起きている中、政府は予定地の測量など計画を粛々と進めている。

 沖縄の現実は、私たちの現実でもある。
 沖縄の問題は、私たちの問題としなければならない。