JADECは昨年5月に法人を解散し、今は任意団体として活動している。解散決定後は、法人の閉鎖処理というのが結構面倒だった。法務局や税務署に何度も問い合わせをしたり、出かけたりして書類を作り、やっと11月にすべての処理が終わった。と思ったら、スタッフの中から「いろいろな書類はどうするの?」という声が上がった。
「種類って何?」「ほら、決算関係の書類だとか、理事会議事録だとか・・・」
「とっておくのかね?」「法人はないんだから、もういらないんじゃないの」
「JADECの活動の歴史として必要なものは残しておいた方がいい」
「事業報告とかだね」「そうね」
「経理の関係は?」「決算報告としてまとめられたものを保存しておけばいいんじゃないの」
「会計の証拠書類とか原義(仕事における意思決定過程がわかるような書類のファイル)とかは保存しなくっていい?」
「監査結果が評議員会で承認されて、Webサイトにも公開しているんだからいらないと思う」
「でも、保存期間が5年とか7年とか規定があるんじゃないの?」
「それは財団が続いているときの話でしょ。もう解散して、たまたま有志が任意団体として活動を続けているだけ。本来なら事務所をたたんでしまって、保存しておく場所だってないはず。規定なんか気にしなくてもいいんじゃないの」
とは言ってみたものの、念のために規定を調べてみた。法人の場合、法律で保存が決められている文書(法定保存文書)には、内容によって期間が決められている。
①1~4年:人事労務関係(健康保険、雇用保険、労災保険、雇用・退職に関わる書類)
②5年 :経理・税務・庶務・人事労務関係(会計書類、事業報告、廃棄物処理関係など)
③7、10年:経理・税務・取引関係帳簿、取引証憑書類、課税・控除関係、決算関係書類)
④永久 :総務・庶務(定款、登記、訴訟、権利や財産の得喪関係、製品の開発設計関係)
となっている。根拠となる法律は、法人法、法人税法、労働基準法などである。しかし、結局のところ、解散した法人については明確に書かれたものはないので、自分たちの良心に従って保存するということにした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
なぜこんなことを書いているかと言えば、最近の省庁における書類の保存に対する姿勢が目に余るからである。吹けば飛ぶような小さな財団、それもすでに解散した法人においてさえ、活動の証拠や支払うべき金額確定の証拠になるような書類の保存について筋を通そうしているのに、である。
A:国有財産売却の交渉記録した書類を廃棄したという財務省
B:PKO部隊の日報を廃棄したと答弁した防衛省(その後見つかったと報告)
C:保存期間30年の「倉庫施設等変更登録書類」を10年で廃棄した国土交通省(2017年3月)
Aは、背景に首相に対する忖度があったのではないかという疑義のある森友学園事件における問題である。(参照本ブログ第11項 新“お役所仕事”考) 財務官僚は、契約が締結したので国有地取引の交渉記録を廃棄したと言っている。それは財務省の内規による保存期間「1年未満」に該当するものであり、適切な処理だというのである。
しかし、交渉記録というものはその取引が正当なものであるかの証拠になるもので、法人の場合で言うと、③の中の取引証憑書類に当たるものではないか。保存期間7年の分類に入るものである。それをもし本当に廃棄したというのであるなら、財務省の行政記録保存期間の内規そのものがおかしいのではないか。国民の財産の払い下げを仕事としているのであるから、そこに求められる公明正大さは民間の法人の日ではないはずだ。1年未満どころか、10年であってもよいくらいである。
(以上の考えのもとに、「財務省行政文書管理規則」なるものを読んでみた。私の読解力では、国有地の払い下げに関する交渉記録の場合は、保存期間10年としか読み取れなかった。)
Bの、当初廃棄されたとした日報というのは昨年7月のもので、12月の情報公開請求に対し防衛省は「廃棄した」として不開示の決定を出したのである。その後陸自内に保存されていたという報告があった。該当の日報は、PKO部隊派遣の判断のための重要な情報であり、今後の駆けつけ敬語を考える際の資料としても貴重なものである。そうしたものを半年もたたぬうちに廃棄するということ自体が考えられない。陸自が保存していたのは当然のことである。これを政府は、陸上自衛隊の制服組と背広組との連絡の不備から起きた問題として片づける意向のようだが、防衛省の文書管理の考え方自体が問題とみるべきではないか。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
Cの問題も含めて、これらの問題は、行政書類の保存システムの問題だと考えられる。かりに今回の出来事が、保存期間の解釈ミスと言う悪意のないものだったとしても、そうした解釈ミスで重要な行政文書が廃棄されてはならない。また官僚の忖度が入り込む余地がないようにしなければならない。さらに、そこに官僚の忖度があったのではないかと疑義が生まれる余地がないようにしなければならない。
アメリカの行政文書の保存の仕組みは徹底しているらしい。アメリカの国家公務員として10年間予算編成の仕事をしていた中林美恵子さん(元連邦議会上院予算委員会補佐官、共和党陣営/現早稲田大学教授)によれば、書類を保存するかどうかは、その仕事の担当者が決めるのではないという。書類保存を担当する部署があり、仕事が終わったものに関する書類をすべて持っていき、残すか残さないかを判断するのだという。担当者が使っていたカレンダーまで持っていくそうだ。そこに仕事に関するメモがあるという可能性があるからだという。
日本の行政府には、ぜひこの書類保存の精神を学んでほしい。外交的にも安全保障の上でも難しい状況下で、国会が一つの問題に長く振り回されているのはどうなのか。堂々巡りの議論を続けていないで、二度とこうした問題を起こさないための対策づくりについて審議してもらいたい。国民に知らせたくない内容の文書は廃棄してしまうのかと疑われないように、きちんとしたルール作りをしてもらいたい。
2017年4月13日木曜日
2017年4月6日木曜日
12.桜が咲かなくなる日
この1週間、各地から桜の便りが寄せられている。東京では全国に先駆けて3月21日に開花宣言があったのち、寒気が戻ったり雨が降ったりで、ようやく暖かくなった今週、やっと見ごろを迎えた。
今年は全国的に桜の開花が遅いようである。それも特に南の九州でその傾向がある。鹿児島では、4月5日にやっと開花宣言が行われた。それは、ことしの鹿児島の3月が寒かったからというわけではなく、冬が寒くなかったせいであるというのである。
桜の花芽は前の年の夏にでき、それからいったん「休眠」するという。その休眠は、冬の低温にさらされて眠りから覚める。それを「休眠打破」というそうだ。そして春になり、気温が上昇するにしたがって花芽が成長し「生成」するという。
つまり、桜の開花には、春先の暖かさと同時に、秋から冬にかけての寒さが必要なのである。桜は四季のある日本だからこそ美しく咲く、ということである。今年の冬は、北の地方には大雪をもたらしたが、それ以外の地域では大変暖かかった。それが桜の目覚めを妨げ、開花を遅らせたということのようだ。
この冬の暖かさはと旧温暖化のもたらしたもの。このまま温暖化が進んでいくと、やがて日本は亜熱帯になるという懸念も出ている。一年中暖かい常夏の国では桜は咲くことができなくなる。今年の桜の開花状況は、温暖化の進行を私たちに警告しているのではないか、とも思えるのである。
民間気象会社のウェザーニュース社は、「100年後には東京で桜が咲かなくなる」という開花シミュレーションを2009年に発表している。
気象変動に関する政府間パネル(Intergovamment Panel on Climate Change,略称IPPC:国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集・整理のための政府間機構)が予想した気温データを使って行ったものである。それによると、九州、四国と南の方からだんだん桜が咲かなくなっていき、2109年には東京でも咲かなくなるという結果になったという。
3月28日、トランプ大統領は、オバマ大統領が進めた温暖化防止対策「クリーン・パワー・プラン」を見直すように命じる大統領令に署名した。温暖化対策の国際的枠組みの「パリ協定」にも否定的だ。アメリカのCO2排出量は、世界の排出量の15.2%、中国28.7%と合わせると40%を超える。アメリカの加わらない温暖化対策は、その効果を大きく減少させることになる。
トランプ大統領は「環境より経済を重視する」としている。そもそも「地球温暖化」そのものについて疑念を持っているとも言われる。しかしアメリカの経済界においても、「地球温暖化は広く認められた科学であり、この問題に対処する環境技術は、環境保護だけでなく企業利益の点からも理にかなっている」とする企業も多い。GMや、最大石油メジャーのエクソンモービル社もそれらの一つである。エクソンモービル社というのは、トランプ政権における現国務長官ティラーソン氏が就任直前までCEOを務めた会社であり、氏自身も温暖化対策の必要性を認めているという。
にもかかわらず、温暖化対策見直しの大統領令が出されてしまうというのは、どういうことなのか。トップの間違いを修正できないアメリカは、地球にとって大変危険な国になったと思わざるを得ない。
桜が咲かなくならないようにするために、私たちは何をしたらよいのだろう。
桜が咲かなくなる日を招くのは、いま生きている人間たちの責任である。
今年は全国的に桜の開花が遅いようである。それも特に南の九州でその傾向がある。鹿児島では、4月5日にやっと開花宣言が行われた。それは、ことしの鹿児島の3月が寒かったからというわけではなく、冬が寒くなかったせいであるというのである。
桜の花芽は前の年の夏にでき、それからいったん「休眠」するという。その休眠は、冬の低温にさらされて眠りから覚める。それを「休眠打破」というそうだ。そして春になり、気温が上昇するにしたがって花芽が成長し「生成」するという。
つまり、桜の開花には、春先の暖かさと同時に、秋から冬にかけての寒さが必要なのである。桜は四季のある日本だからこそ美しく咲く、ということである。今年の冬は、北の地方には大雪をもたらしたが、それ以外の地域では大変暖かかった。それが桜の目覚めを妨げ、開花を遅らせたということのようだ。
この冬の暖かさはと旧温暖化のもたらしたもの。このまま温暖化が進んでいくと、やがて日本は亜熱帯になるという懸念も出ている。一年中暖かい常夏の国では桜は咲くことができなくなる。今年の桜の開花状況は、温暖化の進行を私たちに警告しているのではないか、とも思えるのである。
民間気象会社のウェザーニュース社は、「100年後には東京で桜が咲かなくなる」という開花シミュレーションを2009年に発表している。
気象変動に関する政府間パネル(Intergovamment Panel on Climate Change,略称IPPC:国際的な専門家でつくる、地球温暖化についての科学的な研究の収集・整理のための政府間機構)が予想した気温データを使って行ったものである。それによると、九州、四国と南の方からだんだん桜が咲かなくなっていき、2109年には東京でも咲かなくなるという結果になったという。
3月28日、トランプ大統領は、オバマ大統領が進めた温暖化防止対策「クリーン・パワー・プラン」を見直すように命じる大統領令に署名した。温暖化対策の国際的枠組みの「パリ協定」にも否定的だ。アメリカのCO2排出量は、世界の排出量の15.2%、中国28.7%と合わせると40%を超える。アメリカの加わらない温暖化対策は、その効果を大きく減少させることになる。
トランプ大統領は「環境より経済を重視する」としている。そもそも「地球温暖化」そのものについて疑念を持っているとも言われる。しかしアメリカの経済界においても、「地球温暖化は広く認められた科学であり、この問題に対処する環境技術は、環境保護だけでなく企業利益の点からも理にかなっている」とする企業も多い。GMや、最大石油メジャーのエクソンモービル社もそれらの一つである。エクソンモービル社というのは、トランプ政権における現国務長官ティラーソン氏が就任直前までCEOを務めた会社であり、氏自身も温暖化対策の必要性を認めているという。
にもかかわらず、温暖化対策見直しの大統領令が出されてしまうというのは、どういうことなのか。トップの間違いを修正できないアメリカは、地球にとって大変危険な国になったと思わざるを得ない。
桜が咲かなくならないようにするために、私たちは何をしたらよいのだろう。
桜が咲かなくなる日を招くのは、いま生きている人間たちの責任である。
2017年4月5日水曜日
11.新“お役所仕事”考
かつて“お役所仕事”は「融通がきかない」の代名詞だった・・・
ルール通り、前例通りにやる。つまり、状況に応じて「融通をきかせる」というようなことはしない。しかも対応が遅いというのが“お役所仕事”に対するこれまでの一般的認識であった。それはある意味で当然のことだと言える。その場その場で対応が違うというのでは不公平になるからである。また、律儀に受け付け順に対応するので、急いでいるものにとっては「対応が遅い」と感じられるのだ。
少しは当事者の事情を酌量してほしい、ルールを逸脱しない範囲での裁量ぐらいしてくれてもいいじゃないか、と思うのが人情だ。しかし、“お役所”ではルールを盾に取り、書類の不備などを問題にして門前払いにするような対応が多いため、辞書に「役人根性:融通がきかず杓子定規で~」と書かれてしまうようなことになっているのである。
ところが、今年2月中頃から国会の中心議題になっている“森友学園事件”では、役所の対応の様相が異なる。対応した役所のすべてが大変融通をきかせたようなのである。しかも迅速に。
融通をきかせた内容というのは、森友学園の求めた国有地の払い下げと私立小学校の認可に対して、役所というのは財務省理財局、国土交通省大阪航空局、そして大阪府私学課である。
*該当の国有地は、大阪府豊中市の国道沿いの8770㎡、評価額9億5600億円の土地。
異例の対応の連続で、小学校建設のハードルがクリアされた
小学校開設を望んでいた森友学園(幼稚園・保育園を運営)が、その設置認可を得るためには、クリアしなければならない二つの高いハードルがあった。
①土地の自己所有 : 校庭は借地でもよいが、校舎は借地の上には建てられない。
②自己資金による土地取得と校舎建設 : 借入金ではいけない。
小学校建設に必要な国有地の取得には9億円超、校舎建設には10数億円の費用がかかる。
当時純資産が4億円しかなかった森友学園には、小学校開設など到底無理な話であった。しかし、このハードルは驚くべき速度で、次々と役所が繰り出した異例の対応によりクリアされていった。
特別な力学が働いた・・・
財政不安の森友学園が異例の速さで財務局提示価格のわずか10数%で国有地を取得した経緯を見て、自らも国有地の払い下げを受けての大学開設に苦労した船田元氏(衆議院議員)は、「特別の力学が働いたと思わざるを得ない」と、自身のメールマガジンで述べている。
特別な力学とは何か。それは、安倍首相もしくはその周辺の関与、もしくは役人たちの安倍首相に対する「忖度(そんたく)」である。なぜなら、森友学園が土地取得に動いている2012年から2015年の間に、森友学園において安倍首相夫人が3回も講演をし、安倍氏自身の講演も予定されていたからである。
2012年9月 安倍晋三氏講演予定(総裁選出馬のために取りやめ)
2014年1月 昭恵夫人講演
2014年12月 昭恵夫人講演
2015年9月 昭恵夫人講演
忖度というのは、「他人の心中を推しはかること。推察」(広辞苑)ということである。意味どおりのことであるなら、別に悪いことではない。自分勝手なふるまいをする者が、「ひと(他人)の気持になって考えなさい」と説教されるぐらいで、むしろ忖度は、人として持っているべき行動要素であると言ってもよいぐらいものである。
問題は、誰が、誰に対し、どのような姿勢で「忖度」するのかということである。
予算委員会では、安倍首相夫人が名誉校長ということなので、首相が望む方向の事案だと考え、役人たちが忖度したのではないかと野党が追求した。しかし、安倍首相とその周辺はそれを否定する。この森友問題の経緯においては「忖度の入り込む余地はなかった」と主張する。「霞が関には忖度するような官僚はいない」とまで言う。
筋が通らぬ役人たちの言い分
本当に忖度はなかったのか? では、国有地払下げ経験者に「特別の力」を感じさせる異例の対応の連続は、なぜ起こったのか。森友学園に対する国有地払下げにかかわりのあった役人たちや首相の周辺は、対応はすべて適切であったとする。しかしその見解に多くの国民(日経新聞の世論調査では74%)は納得していない。
国民の財産である国有地、それをいかに高い価格で払い下げるかが理財局の仕事だ。その理財局が、同じ土地に対してもっと高額の買い取りの申し入れをした大阪音大や豊中市を断り、時をおかずに森友学園に86%引きで売ってしまったというのは、腑に落ちない。
開校に間に合わせるためにとか、風評被害を防ぐためにとかいろいろ理屈をつけているが、相手の事情を配慮しすぎていて、国の仕事としての厳正な審査、厳格なチェックを怠っているとしか思えない。これまでのいわゆる“お役所仕事”とはあまりにも様相が違う。
入札にもせず、売却価格も公開せず、8億円のごみ処理費用を正しく使ったかどうかも確認もせずにというのは、どうにも筋が通らないのだ。
これが適切な対応であったかどうかの判断は、交渉記録によって明らかにされるはずであるが、その交渉記録は契約が成立したので廃棄したという。しかし、森友への土地売却は10年分割払いであるから、契約は終了していないのではないか。10年間の間に問題が起こり、終了しない可能性もある。国有財産の払い下げともなれば、会計検査の対象となるものであるから、その関係資料はそう簡単に処分するはずはないと、元官僚たち、特に財務省関係者は強く言っている。
もし本当に廃棄したのであれば、見られては困るものだからだと考えるのが自然だろう。
自民党は、証人喚問での籠池氏に偽証があったとして、その証拠を得るために国政調査権を発動しようとしているが、国政調査権の対象とすべきはむしろこの土地取引にかかわった財務省、国土交通省の関係各局だというのが、私を含めて大方の国民の考えているところだろう。
*国政調査権(日本国憲法第62条より)
両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言ならびに記録の提出を要求することができる。
本当のお役所仕事を
役所における忖度の実態については、元官僚たちがTV局の取材や自身のブログで「忖度は日常的にある」と語っている。「上司が何を考えているのか忖度できなようなものには、仕事ができない」とまで言う人もいる。ただ、忖度した後の行動のしかたが問題だという。
元経産省官僚の岸博幸氏(慶応大学大学院教授)は、「権力者の知り合いの案件だからこそ、手心を加えてそれが発覚したら大変なことになるので、従来の案件以上に慎重にかつ厳格に手続きを進める」というのが、官僚としてのあるべき姿であると言う。
もっと言えば、公務員が本当に「忖度」すべきは一般国民、もしくは地域住民であり、そして国の行く末なのであって、上司や有力者ではないのである。それが“本当のお役所仕事”なのである。この事件を機に、そのことを“お役所”に働く人々は、肝に命じてもらいたい。
辞書の次の版の「忖度」の記述に、「上司もしくは権力者の望むところを推測し、与えられてもいない依頼や指示を先取りして実行することを言う」などという意味が付け加わらないことを、切に願う。
2017年2月16日木曜日
10.「所領安堵」と「いざ鎌倉」
世論調査(日本国内の)によれば、今回の安倍首相の米国訪問の成果については、約70%の人が「良かった」と評価しているそうである。野球であれば「ホームラン」と評価した評論家もいた。
しかし私は、今回の訪問の経緯を見ていて、「所領安堵」という言葉を連想した。鎌倉時代、幕府が御家人の忠誠をつなぎとめるために用いた手段であったところの、あの「所領安堵」である。
「所領安堵」には「いざ鎌倉」がついてくるということを考えておかなくてはならない。「鎌倉(幕府)」に何かあるときには、何をおいても駆けつけて、所領を安堵していただいている御恩に報いるためにご奉公をするということだ。武力が必要なときは、武力をもって対応するということだ。
【所領安堵】
12世紀末(平安時代末期)頃から社会が不安定になり、土地などの私有財産を侵害されるような出来事がしばしば発生したため、財産所有者たちは強力な武力を持った有力者(やがて武士の頭領となっていく)に財産の保証を依頼、有力者はそれを保護し安全・安心(安堵)を与えること約束した。
土地(所領)とその支配権を安堵することを特に「所領安堵」と言い、有力者は「所領安堵」の見返りとして、所領の主たちに一定の奉仕を求めた。この「安堵」と「見返り」としての奉仕が恒常的になっていき、やがて実力者と所領の主たちの関係が、主君と家来という関係に変わっていった。
鎌倉時代はこの関係が特に重視され、「安堵」の見返りとしての奉仕のことを、鎌倉幕府に何事かあるときは何をおいてでも駆けつけ幕府のために働くというという意味で「いざ鎌倉」と呼ばれていた。
トランプ大統領の「日本を100%支持するよ」の言葉の裏には、「だから米国も100%支持してね」という意図があるとみる必要がある。“最強の同盟国”なのだから当然だろう。しかし、トランプ政権の政策を100%支持するということは、国際協調とは逆行する道を行くことになりはしないか。
・イスラムを敵視する人、中国を敵視する人々を抱えるトランプ政権
(「ここ10年のうちに米国は南シナ海で中国と戦うだろう」と公言する者までいる)
・政治犯1万3000人を死刑にし、各国から非難を浴びているアサド政権を助けるロシア、
そのロシアと協力してシリア内戦を解決しようとするトランプ政権
・強い親イスラエル派で構成され、イスラエルにパレスチナ自治区での入植地建設を禁じた国連決議を非難するトランプ政権
・せっかく修復したイランとの関係を再び悪化させようとするトランプ政権
・地球温暖化をウソだと言い、パリ協定(国連気候変動枠組条約)から抜けると公言するトランプ政権
国を護ってもらうお返しとしての「いざ鎌倉」、その内容が何になるのかわからないが、政府は、平和主義の国日本としての主体性をもって行動してほしいと強く願う。
しかし私は、今回の訪問の経緯を見ていて、「所領安堵」という言葉を連想した。鎌倉時代、幕府が御家人の忠誠をつなぎとめるために用いた手段であったところの、あの「所領安堵」である。
「所領安堵」には「いざ鎌倉」がついてくるということを考えておかなくてはならない。「鎌倉(幕府)」に何かあるときには、何をおいても駆けつけて、所領を安堵していただいている御恩に報いるためにご奉公をするということだ。武力が必要なときは、武力をもって対応するということだ。
【所領安堵】
12世紀末(平安時代末期)頃から社会が不安定になり、土地などの私有財産を侵害されるような出来事がしばしば発生したため、財産所有者たちは強力な武力を持った有力者(やがて武士の頭領となっていく)に財産の保証を依頼、有力者はそれを保護し安全・安心(安堵)を与えること約束した。
土地(所領)とその支配権を安堵することを特に「所領安堵」と言い、有力者は「所領安堵」の見返りとして、所領の主たちに一定の奉仕を求めた。この「安堵」と「見返り」としての奉仕が恒常的になっていき、やがて実力者と所領の主たちの関係が、主君と家来という関係に変わっていった。
鎌倉時代はこの関係が特に重視され、「安堵」の見返りとしての奉仕のことを、鎌倉幕府に何事かあるときは何をおいてでも駆けつけ幕府のために働くというという意味で「いざ鎌倉」と呼ばれていた。
トランプ大統領の「日本を100%支持するよ」の言葉の裏には、「だから米国も100%支持してね」という意図があるとみる必要がある。“最強の同盟国”なのだから当然だろう。しかし、トランプ政権の政策を100%支持するということは、国際協調とは逆行する道を行くことになりはしないか。
・イスラムを敵視する人、中国を敵視する人々を抱えるトランプ政権
(「ここ10年のうちに米国は南シナ海で中国と戦うだろう」と公言する者までいる)
・政治犯1万3000人を死刑にし、各国から非難を浴びているアサド政権を助けるロシア、
そのロシアと協力してシリア内戦を解決しようとするトランプ政権
・強い親イスラエル派で構成され、イスラエルにパレスチナ自治区での入植地建設を禁じた国連決議を非難するトランプ政権
・せっかく修復したイランとの関係を再び悪化させようとするトランプ政権
・地球温暖化をウソだと言い、パリ協定(国連気候変動枠組条約)から抜けると公言するトランプ政権
国を護ってもらうお返しとしての「いざ鎌倉」、その内容が何になるのかわからないが、政府は、平和主義の国日本としての主体性をもって行動してほしいと強く願う。
2017年2月14日火曜日
9. 2月11日 その2
20年ほど前の2月10日の夜、私は娘(5年生)と息子(3年生)に、「明日はどういう日だか知ってる?」と聞いた。
二人とも「建国記念の日」であるということは知っていた。担任の先生が教えてくれたという。息子のクラスではそれ以上の話はなかったようだが、娘のクラスではもう少し話があったという。先生は子どもたちに次のように言ったという。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」
先生はそう断定したわけではなく、「~と言われているようです」という表現だったようだが、「それで?」と娘にさらに聞くと、それだけだったという。いつごろの話だとか、その話の根拠とか、「建国記念の日」がいつ制定されたのか、という話は一切なかったという。
古代の日本には、大陸(朝鮮や中国など)から多くの人々がやってきた。日本の成り立ちと大陸からやってきた人々とは大いなる関係がある。しかしそれは、「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた」というようなものではない。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」という表現は、そのいい加減さもさることながら、いろいろなイメージを子どもに与える危険性がある。「朝鮮が侵略してきてこの地域に日本と名づけた」「日本人の祖先=朝鮮の人」「ここは自分たちの国と決めることで国ができる」等々。
日本の学校の授業では、教科書に書かれていることや、教師が話した(書いた)ことを覚えるというのが活動の中心になっている。 歴史は特にその傾向が強い。これは物事について自分で分析し考えることなく、「教科書に書いてあるんだもん」「先生が言っただもん」と、書いてあること教えられたことをそのまま正しいこととして受け止める姿勢を育ててしまう。 教師のいい加減な一言が、子どもに誤ったイメージを植え付ける可能性があり、おそろしいことであると思う。
しかし、だから正しい教科書を作れとか、教師は間違ったことを言うな、というつもりはない。絶対に正しい教科書とか、絶対に正しいことしか言わない教師などありえない。教科書なんか資料にすぎない。新しい史料、新しい遺物が発見されれば、それまで真実だと思っていた歴史の事実さえひっくり返ることだってあるのだから。
教科書に書いてあること、先生が説明したことを後生大事に覚えておくなどということは歴史の学習でもなんでもない。歴史というのは、過去の人間が残した史料や遺物によって、過去の人間の行動とその結果が示されたものである。歴史の学習というのは、そうした残された史料や遺物を多面的に調べ分析し、その時代(の政治や産業など)を成り立たせた条件や時代を変えた条件をとらえること、そしてそのとらえたことを参考にして、自分が生きている今の時代を見る視点、その先の時代を切り開く視点を自分自身の中に育てていく学習なのだ、ということを子どもたちに掴んでほしいと思うのだ。
そもそも、国(クニ)とはどういうものなのか。
「領土」があって、「そこに住む民」がいれば「国」なのか?
そのまとまりの大きさは? 集落や村とはどう違うのか?
日本が、日本という国として対外的に認められるについては、長い経緯がある。
それはどういうものであったか? 日本という名前が確認されたのはいつ頃だったのか?
そのころの日本の周辺はどういう状況だったか?
そのころ世界のほかの国々はどういう状況だったか?
今、国はどのようにして、独立した国として認められるのか?
世界の建国記念日とその経緯は?
日本の建国記念の日はなぜ2月11日なのか?
「建国記念の日」に、子どもたちに歴史的視点を育てようと思うのなら、教師の役目は、建国についていい加減で中途半端な説明をするのではなく、子どもたちから「国(クニ)」というものについての様々な疑問を引き出し、その成立について考えるきっかけをつくることではないか。
20年後の今も、歴史は「暗記もの」であるとして、ほとんどの子どもたちに認識されている。
教師たちは「建国記念の日」について、子どもたちにどんな話をしているだろうか。
二人とも「建国記念の日」であるということは知っていた。担任の先生が教えてくれたという。息子のクラスではそれ以上の話はなかったようだが、娘のクラスではもう少し話があったという。先生は子どもたちに次のように言ったという。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」
先生はそう断定したわけではなく、「~と言われているようです」という表現だったようだが、「それで?」と娘にさらに聞くと、それだけだったという。いつごろの話だとか、その話の根拠とか、「建国記念の日」がいつ制定されたのか、という話は一切なかったという。
古代の日本には、大陸(朝鮮や中国など)から多くの人々がやってきた。日本の成り立ちと大陸からやってきた人々とは大いなる関係がある。しかしそれは、「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた」というようなものではない。
「朝鮮から人が来て、ここが日本と決めた日」という表現は、そのいい加減さもさることながら、いろいろなイメージを子どもに与える危険性がある。「朝鮮が侵略してきてこの地域に日本と名づけた」「日本人の祖先=朝鮮の人」「ここは自分たちの国と決めることで国ができる」等々。
日本の学校の授業では、教科書に書かれていることや、教師が話した(書いた)ことを覚えるというのが活動の中心になっている。 歴史は特にその傾向が強い。これは物事について自分で分析し考えることなく、「教科書に書いてあるんだもん」「先生が言っただもん」と、書いてあること教えられたことをそのまま正しいこととして受け止める姿勢を育ててしまう。 教師のいい加減な一言が、子どもに誤ったイメージを植え付ける可能性があり、おそろしいことであると思う。
しかし、だから正しい教科書を作れとか、教師は間違ったことを言うな、というつもりはない。絶対に正しい教科書とか、絶対に正しいことしか言わない教師などありえない。教科書なんか資料にすぎない。新しい史料、新しい遺物が発見されれば、それまで真実だと思っていた歴史の事実さえひっくり返ることだってあるのだから。
教科書に書いてあること、先生が説明したことを後生大事に覚えておくなどということは歴史の学習でもなんでもない。歴史というのは、過去の人間が残した史料や遺物によって、過去の人間の行動とその結果が示されたものである。歴史の学習というのは、そうした残された史料や遺物を多面的に調べ分析し、その時代(の政治や産業など)を成り立たせた条件や時代を変えた条件をとらえること、そしてそのとらえたことを参考にして、自分が生きている今の時代を見る視点、その先の時代を切り開く視点を自分自身の中に育てていく学習なのだ、ということを子どもたちに掴んでほしいと思うのだ。
そもそも、国(クニ)とはどういうものなのか。
「領土」があって、「そこに住む民」がいれば「国」なのか?
そのまとまりの大きさは? 集落や村とはどう違うのか?
日本が、日本という国として対外的に認められるについては、長い経緯がある。
それはどういうものであったか? 日本という名前が確認されたのはいつ頃だったのか?
そのころの日本の周辺はどういう状況だったか?
そのころ世界のほかの国々はどういう状況だったか?
今、国はどのようにして、独立した国として認められるのか?
世界の建国記念日とその経緯は?
日本の建国記念の日はなぜ2月11日なのか?
「建国記念の日」に、子どもたちに歴史的視点を育てようと思うのなら、教師の役目は、建国についていい加減で中途半端な説明をするのではなく、子どもたちから「国(クニ)」というものについての様々な疑問を引き出し、その成立について考えるきっかけをつくることではないか。
20年後の今も、歴史は「暗記もの」であるとして、ほとんどの子どもたちに認識されている。
教師たちは「建国記念の日」について、子どもたちにどんな話をしているだろうか。
2017年2月11日土曜日
8. 2月11日
毎年、この日になるとなんだか違和感を覚える。
2月11日は、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に政令により決められた。
2月11日というのは言わずと知れた紀元節の日。
紀元節とは、古事記、日本書紀において初代神武天皇が即位したとされている日である。
即位した年を皇紀元年といい、これは西暦でいうと紀元前660年であるという。
日本が中国の歴史書に登場してくるのは、紀元前1世紀のころからである。
紀元前1世紀 漢書:「分かれて百余国」
紀元1~2世紀 後漢書:「奴国」「金印」「献、生口(奴隷)160人」
紀元3世紀 魏志倭人伝:「倭国大乱」「邪馬台国」「卑弥呼」
これらは学校の歴史の時間に学ぶことだ。
紀元前660年というと、「分かれて百余国」と書かれた時代よりさらに500年ほど前のことになる。
そんな時代に、天皇(大王)をいただく国家ができていたなどと歴史学者、考古学者は誰も考えていないし、神武天皇以下九代の天皇は実在の人物とは考えられてはいない。
そんな国もできていないし実在もしていない天皇が即位したという日を、建国記念の日の根拠とするというのは、いかにも科学的でない。科学的でない思考が国を動かしているという気がするのが、違和感の原因になっている。
現在世界には200国以上の国々が存在していて、それらのほとんどに建国記念日がある。そしてまたそのほとんどは、新しく国が成立した、またはそれに相当する事実があった日を記念日としている。その多くは独立記念日である。欧州の各国の植民地であった国々が、支配国から独立を果たした日、もしくは独立を宣言した日である。
イギリスから独立したアメリカやカナダ、インド、ナイジェリア、パキスタン・・・
フランスから独立したカンボジア、ベトナム、セネガル・・・
スペインから独立したアルゼンチン、コロンビア、ペルー・・・
ポルトガルから独立したアンゴラ、ブラジル・・・
独立記念日以外では、新しい政治制度に移行した日を記念日とする国もある。立憲君主制になった日を記念日とするデンマークやタイ、王政から共和制に移行したイタリアなどがそれである。
また、フランスは政治体制を変えるための革命が始まった日を革命記念日とし、キューバはキューバ革命を達成した日を解放記念日としている。
新しくはドイツ、東西ドイツが統一された日がドイツ統一の日として記念日となっている。
調べた範囲で最も古いのはスイスで、1291年に3つの州が自由と自治を守るために誓約同盟を結成した日を建国記念日としている。しかし、当たり前のことであるが、歴史の古い国ほど建国の年代は古くなるので、正式な建国の日は不明だという国もある。オランダは正式な建国記念日はなく、スペイン王の統治権否認の布告をした日を記念日としているし、また、ヨーロッパ最古の君主制国家イギリスには建国記念日そのものがない。18世紀初頭にカスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されてできたスペインにも建国記念日はない。
以上、ほとんどの国々が建国記念日、もしくはそれに相当する日としているのは、そうした事実のあった日である。しかし、例外が2つある(私の調べた範囲であるが)。
日本と韓国である。
日本の「建国記念の日」は2月11日、紀元前660年神武天皇即位の日。
韓国の建国記念日にあたる「開天節」は10月3日、紀元前2333年古朝鮮王国の祖、檀君が建国したとされる日。
建国の事実のあった日を記念する大多数の国々と、神話の中の日を記念として祝う2つの国。
隣り合った2つの国のこの発想は、それぞれどこへ向かっていくのだろうか。
2月11日は、1966(昭和41)年に「建国記念の日」に政令により決められた。
2月11日というのは言わずと知れた紀元節の日。
紀元節とは、古事記、日本書紀において初代神武天皇が即位したとされている日である。
即位した年を皇紀元年といい、これは西暦でいうと紀元前660年であるという。
日本が中国の歴史書に登場してくるのは、紀元前1世紀のころからである。
紀元前1世紀 漢書:「分かれて百余国」
紀元1~2世紀 後漢書:「奴国」「金印」「献、生口(奴隷)160人」
紀元3世紀 魏志倭人伝:「倭国大乱」「邪馬台国」「卑弥呼」
これらは学校の歴史の時間に学ぶことだ。
紀元前660年というと、「分かれて百余国」と書かれた時代よりさらに500年ほど前のことになる。
そんな時代に、天皇(大王)をいただく国家ができていたなどと歴史学者、考古学者は誰も考えていないし、神武天皇以下九代の天皇は実在の人物とは考えられてはいない。
そんな国もできていないし実在もしていない天皇が即位したという日を、建国記念の日の根拠とするというのは、いかにも科学的でない。科学的でない思考が国を動かしているという気がするのが、違和感の原因になっている。
現在世界には200国以上の国々が存在していて、それらのほとんどに建国記念日がある。そしてまたそのほとんどは、新しく国が成立した、またはそれに相当する事実があった日を記念日としている。その多くは独立記念日である。欧州の各国の植民地であった国々が、支配国から独立を果たした日、もしくは独立を宣言した日である。
イギリスから独立したアメリカやカナダ、インド、ナイジェリア、パキスタン・・・
フランスから独立したカンボジア、ベトナム、セネガル・・・
スペインから独立したアルゼンチン、コロンビア、ペルー・・・
ポルトガルから独立したアンゴラ、ブラジル・・・
独立記念日以外では、新しい政治制度に移行した日を記念日とする国もある。立憲君主制になった日を記念日とするデンマークやタイ、王政から共和制に移行したイタリアなどがそれである。
また、フランスは政治体制を変えるための革命が始まった日を革命記念日とし、キューバはキューバ革命を達成した日を解放記念日としている。
新しくはドイツ、東西ドイツが統一された日がドイツ統一の日として記念日となっている。
調べた範囲で最も古いのはスイスで、1291年に3つの州が自由と自治を守るために誓約同盟を結成した日を建国記念日としている。しかし、当たり前のことであるが、歴史の古い国ほど建国の年代は古くなるので、正式な建国の日は不明だという国もある。オランダは正式な建国記念日はなく、スペイン王の統治権否認の布告をした日を記念日としているし、また、ヨーロッパ最古の君主制国家イギリスには建国記念日そのものがない。18世紀初頭にカスティーリャ王国とアラゴン王国が統合されてできたスペインにも建国記念日はない。
以上、ほとんどの国々が建国記念日、もしくはそれに相当する日としているのは、そうした事実のあった日である。しかし、例外が2つある(私の調べた範囲であるが)。
日本と韓国である。
日本の「建国記念の日」は2月11日、紀元前660年神武天皇即位の日。
韓国の建国記念日にあたる「開天節」は10月3日、紀元前2333年古朝鮮王国の祖、檀君が建国したとされる日。
建国の事実のあった日を記念する大多数の国々と、神話の中の日を記念として祝う2つの国。
隣り合った2つの国のこの発想は、それぞれどこへ向かっていくのだろうか。
2017年2月2日木曜日
7. 安倍さん、「立場」でなく「資格」ではないですか
トランプ大統領がテロ対策の一環でイスラム7か国の国籍保有者の入国を禁じた処理について、アメリカ国内ばかりか世界各国から非難の声が湧き上がっている。
●デブラジオ市長(ニューヨーク市長)
我々は宗教の多様性と平等の理念を基本に築かれた国だ。
大統領は今日、恥ずかしくも異なるメッセージを発した。
●オバマ元大統領(アメリカ)
信仰を理由に個人を差別する考えには同意しない。
●トルドー首相(カナダ)
迫害やテロ、そして戦争から逃れようとしている人たちへ。
カナダ人は信仰に関係なく、あなたたちを歓迎する。多様性こそ我々の強さだ。
●メルケル首相(ドイツ)
テロとの戦いは、人を出身や信仰でひとくくりにして疑うことを正当化しない。
●メイ首相(イギリス)
この種の対応には同意しない。我々はそのような措置は取らない。
●オランド大統領(フランス)
難民保護の原則を無視すれば、世界の民主主義を守ることが困難になる。
そして1月30日、国会で民主党代表蓮舫氏の質問に答えた、我が日本の首相。
トランプ大統領の発した命令について、次のように述べた。
米政府の考えを示した示したものでコメントする立場にない。
難民の対応は国際社会が連携していくべきだ。
支持するでもなく、反対でもない。
同盟国であり、10日後に会談を控えているという状況では、発言しにくかったのかもしれないが、はっきりと自分の考えを示した各国の首脳に比べると、曖昧で主体性のない姿勢を示してしまった。
せめて「コメントする立場にない」という言葉に続けて、
「米国のこれまでの発展は、米国の自由と寛容性にあり、私はそれを尊敬してきた」
ぐらいのことを言って欲しかった。
さらに言えば、「コメントする立場にない」ではなく、「コメントする資格がない」というべきではなかったか。
日本は難民をほとんど受け入れていないからだ。
日本ほど難民の審査に厳しい国はなく、例えば2015年は申請者7586人に対し、認定されたのはたった27人だった。「入国管理が厳しいからこそ国の安全が得られる」として国が閉鎖的であることには合理性があるという考え方がその背景にある。もしかしたら、トランプ大統領令は「我が意を得たり」というところだったのかもしれない。
しかし、日本は今、観光立国を目指しているはずだ。
3年半後に東京オリンピックを控えて、その動きは高まっている。
観光立国の成功のポイントは、もてなし方もさることながら、心からの受け入れの姿勢であると思う。
日本の政府には「観光に来るのはいいんだけど、住むのはねえ・・・」ではなく、
「日本は住みやすい国です。どうぞ日本の文化と平和を満喫してください」と言えるような政策と対策をとって欲しい。
お金を落としてくれる観光客への、その場限りの「オ・モ・テ・ナ・シ」だけではなく。
●デブラジオ市長(ニューヨーク市長)
我々は宗教の多様性と平等の理念を基本に築かれた国だ。
大統領は今日、恥ずかしくも異なるメッセージを発した。
●オバマ元大統領(アメリカ)
信仰を理由に個人を差別する考えには同意しない。
●トルドー首相(カナダ)
迫害やテロ、そして戦争から逃れようとしている人たちへ。
カナダ人は信仰に関係なく、あなたたちを歓迎する。多様性こそ我々の強さだ。
●メルケル首相(ドイツ)
テロとの戦いは、人を出身や信仰でひとくくりにして疑うことを正当化しない。
●メイ首相(イギリス)
この種の対応には同意しない。我々はそのような措置は取らない。
●オランド大統領(フランス)
難民保護の原則を無視すれば、世界の民主主義を守ることが困難になる。
そして1月30日、国会で民主党代表蓮舫氏の質問に答えた、我が日本の首相。
トランプ大統領の発した命令について、次のように述べた。
米政府の考えを示した示したものでコメントする立場にない。
難民の対応は国際社会が連携していくべきだ。
支持するでもなく、反対でもない。
同盟国であり、10日後に会談を控えているという状況では、発言しにくかったのかもしれないが、はっきりと自分の考えを示した各国の首脳に比べると、曖昧で主体性のない姿勢を示してしまった。
せめて「コメントする立場にない」という言葉に続けて、
「米国のこれまでの発展は、米国の自由と寛容性にあり、私はそれを尊敬してきた」
ぐらいのことを言って欲しかった。
さらに言えば、「コメントする立場にない」ではなく、「コメントする資格がない」というべきではなかったか。
日本は難民をほとんど受け入れていないからだ。
日本ほど難民の審査に厳しい国はなく、例えば2015年は申請者7586人に対し、認定されたのはたった27人だった。「入国管理が厳しいからこそ国の安全が得られる」として国が閉鎖的であることには合理性があるという考え方がその背景にある。もしかしたら、トランプ大統領令は「我が意を得たり」というところだったのかもしれない。
しかし、日本は今、観光立国を目指しているはずだ。
3年半後に東京オリンピックを控えて、その動きは高まっている。
観光立国の成功のポイントは、もてなし方もさることながら、心からの受け入れの姿勢であると思う。
日本の政府には「観光に来るのはいいんだけど、住むのはねえ・・・」ではなく、
「日本は住みやすい国です。どうぞ日本の文化と平和を満喫してください」と言えるような政策と対策をとって欲しい。
お金を落としてくれる観光客への、その場限りの「オ・モ・テ・ナ・シ」だけではなく。
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